2018年4月1日放送のポーツ天国と地獄でスキージャンプ選手の葛西紀明選手が出演されます。
葛西選手と言えば2014年1月1日ワールドカップで最年長優勝記録を持っており、世界的に「レジェンド葛西」と呼ばれるほどのスキージャンプ選手として有名です。
そんな葛西選手ですが、今回のスポーツ天国と地獄で、実は原田雅彦選手の生でオリンピックの金メダルを2度も逃していたことを告白されます。
今回はそんなショッキングな内容について何があったのかをまとめていきたいと思います。
確執の原因1. 原田雅彦がジャンプを大失敗?逃したオリンピック金メダル
葛西紀明選手と原田雅彦選手に確執ができた最初の出来事が1994年のリレハンメル五輪での出来事だそうです。
確執となった出来事はスキージャンプ団体戦決勝で起こりました。
当時の葛西紀明選手は決勝の舞台で130メートル以上の大ジャンプを飛ばれており日本の金メダルはほぼ確定。
最後の原田雅彦選手が105メートル以上飛べば金メダル確定だったようです。
(※ちなみに105メートルはプロ選手にすると余裕で飛べるラインです。)
優勝したと内心確信していた葛西選手の気持ちに反し、最後に飛んだ原田選手の記録は97.5メートル。
原田選手のこのジャンプ大失敗が原因でこの年の日本のスキージャンプ団体戦は銀メダルに終わりました。
この時葛西紀明選手は4歳年上の先輩である原田雅彦選手を「蹴っ飛ばしてやりたい」と激怒。
一方の原田雅彦選手は「申し訳ないでは済まされない」と大いに自分を責められたようです。
このようなことがあり、お二人の間に確執ができ不仲になっていきました。
確執の原因2.原田雅彦が原因で怪我?葛西紀明が叫んだ「落ちろ」の理由
お二人の確執はこの後の長野オリンピックでいよいよ確実なものになっていきます。
先のリレハンメルオリンピックでは優勝が叶わなかった葛西紀明選手は4年後の長野オリンピックに向けて練習に打ち込みました。
長野オリンピックはそれまでの実績ではなく公式練習の結果で選抜されることになっていました。
しかし、大会1ヶ月前の練習で事件はおきます。
ウォーミングアップでサッカーをしていた葛西紀明選手と原田雅彦選手。
そのサッカー中に原田雅彦選手が葛西紀明選手の足を蹴ってしまい葛西紀明選手は足を負傷。
その後団体選手から外されてしまいます。
原田雅彦選手との事故でオリンピック団体選手に選ばれなかった葛西選手。
オリンピックの決勝では、自身が立つはずの場に立てていないことにショックを受けつつ試合を観戦していました。
1回目のジャンプで4位と出遅れた日本でしたが奇しくも原田雅彦選手の137メートルジャンプ等大逆転。
葛西紀明選手は思わず原田雅彦選手がジャンプした瞬間から着地する瞬間まで「飛ぶな!落ちろ!」と叫んでいたそうです。
お二人の様子がわかる当時の写真
出典:https://www.nack5.co.jp/oricon_2108686.shtml
葛西紀明の栄光
長野での日本の金メダルは葛西紀明選手にとっては本当に悔しい出来事で終わってしまいました。
大会の後で葛西紀明選手はやけ酒を煽りながら悔し泣きをされてたそうで、幾度となく「このままでは終われない」と言っていたそうです。
その後のご活躍は有名な話で2014年のソチオリンピックでは個人ラージヒルで銀メダルを、団体では銅メダルを獲得され、最年長メダリストとしても記録を更新されました。
こういった輝かしい戦績があり、現在葛西紀明選手は世界的にもレジェンド葛西と敬意を持って称されています。
まとめ
今回は葛西紀明選手と原田雅彦選手が不仲になった原因をまとめてきました。
リレハンメル五輪での原田雅彦選手の大失敗や、長野五輪での怪我などお二人の間にはかなり確執ができてしまう事件がありました。もちろんスポーツに失敗はつきものであると葛西紀明さん自身もおっしゃっていますし、怪我を折ってしまったのは偶然の事故です。
葛西紀明選手にはかなり不幸な出来事だったと思いますが、しかし、一方でご本人もおっしゃっていますが「当時の悔しさが最大のモチベーション」となってその後の快挙を成し遂げられています。
今となって言えることではありますが、葛西紀明選手にとって必ずしもマイナスなだけの出来事ではなかったのかもしれません。