ドラマ「ケイジとケンジ~所轄と検事の24時~」に刑事役として出演中の磯村勇斗さん。若手イケメン俳優として映画にCMにと引っ張りだこですが、ブレイクするまでは結構苦労していたと話題になっています。
今回は磯村勇斗さんがドラマデビューするまでの経歴と上京してからのエピソードをご紹介いします。
Contents
磯村勇斗の経歴をまとめてみた!
磯村勇斗さんは2014年にドラマデビューを果たしてから
ドラマ
- 事件救命医2~IMATの奇跡~
- スケープゴート
- まれ
- ひよっこ
- SUITS/スーツ
- 今日から俺は!!
映画
- 生贄のジレンマ
- ガールズ・ステップ
- 劇場版仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間
- RUN!-3films-
- 今日から俺は!!劇場版
引用:Wikipedia
などさまざまな話題作に出演しています。
事件救命医2~IMATの奇跡~でドラマデビュー
磯村勇斗さんは2014年6月から放送された玉木宏さん主演のサスペンスドラマ「事件救命医2」が初ドラマデビューになります。
演じた役はバスジャック事件を起こすメンバーの一人として出演し、出番は決して多くなく、その後も主要キャストではなく、脇役として出演していました。
磯村勇斗の出世作は?
磯村勇斗さんが一気に注目されるキッカケとなった作品は翌年の2015年に放送された特撮テレビドラマ「仮面ライダーゴースト」です。
主演ではありませんでしたが、主要ライダーの一人である仮面ライダーネクロム役を演じました。
仮面ライダー役に対するあこがれが強かった磯村勇斗さんはインタビューで
自分と年齢がそう変わらない役者さんたちが出演しているのを、“いつか、オレも…!”と思いながら見ていたので、本当に言葉にならないくらいうれしかったです。
いちばんに両親へ連絡しました。最初は信じられない様子で、電話越しに「何を言ってるの?」って(笑)。事態が飲み込めてからは、泣きながら喜んでくれましたね。
引用:livedoor”NEWS
と嬉しそうに話しておりました。
仮面ライダーシリーズと言えば若手俳優の登竜門のようなもの。
嬉しさの反面プレッシャーも大きかったようで、
仮面ライダーにずっと憧れていたからうれしかったんですけど、そのぶんプレッシャーも大きくて、初変身のときはかなり手が震えてしまい、何テイクも撮り直すことに…。僕の変身フォームは、腕にはめるブレス型なんですけど、手元を見ないでやるのが難しくて。でも変身ポーズは大事だからカッコよく見せなきゃと思って、何度も何度も家の鏡を見ながら練習しました。
引用:livedoor”NEWS
と苦労話も話してくれました。
まだドラマデビューして1年足らずの経験の浅い若手俳優が仮面ライダーに選ばれるのは相当なプレッシャーがあったかと思います。
そんな中でも見事仮面ライダーネクロムを演じ切り、ブレイクに繋がっていきます。
磯村勇斗のプロフィール
磯村勇斗さんの簡単なプロフィールもおさらいしておきましょう
生年月日 | 1992年9月11日(27歳) |
出身地 | 静岡県沼津市 |
血液型 | A型 |
身長 | 176cm |
星座 | おとめ座 |
特技 | 料理 |
所属事務所 | BULE LABEL |
料理が特技なのは少し意外です。
磯村勇斗さんは連続テレビ小説「ひよっこ」に見習いコックとして出演した時に料理をするシーンが何度が登場しましたので、特技が演技に生かされているのかもしれませんね。
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磯村勇斗のデビューのきっかけを確認!
磯村勇斗さんのデビューのきっかけは中学生までさかのぼります。
以前インタビューで
中2のとき、学校の授業で自主製作映画を作ったことがキッカケで、演じる楽しさを知りました。映画のタイトルは『ヌマヅの少女ハイジ』。沼津にハイジという少女がいて、ハイジの学校にクララという転校生がやって来るところから始まります。転校してきたクララはクラスメートにイジメられ、怒ってスイスに帰ってしまうんですけど、ハイジがみんなを連れてスイスまで謝りに行き、クララを沼津に連れ戻すというストーリーでした。
引用:livedoor”NEWS
某人気アニメを彷彿とさせるストーリーですが、この時に演技をする楽しさを感じるようになったようです。
その後本格的に役者を志すようになり、両親に相談するも
中3のとき、両親に「役者になるために東京へ行きたい」と話したんですけど、「高校には行きなさい」と言われ、地元の高校へ進学することになりました。でも、どうしても演技の勉強がしたかったから、自分で劇団を探して、芝居を教えてくれって電話して、週に1回通い始めました。僕の芝居の原点とも言える場所です。
引用:livedoor”NEWS
と親から猛反対を受けてしまいます。
その後親の勧めで高校に進学することになりますが、それでも役者への夢を諦めきれず地元の劇団にはいり、演技の勉強をしたとインタビューで話していました。
17歳のときに地元である静岡・沼津の劇団で初舞台を踏んで役者の道を歩み始めたという磯村は、インターネットで“沼津”“劇団”と入れて、最初にヒットした劇団に「お芝居をしたいので、教えていただけますか?」と電話をして入団。しかし、行ってみると全員で10人ぐらいで、年齢も50~70代くらいのメンバーしかおらず、若者は磯村のみだったと明かす。
引用:ザ・テレビジョン
人数も少ないうえにかなり年齢層が高いですね・・・
ちなみに劇団での初舞台は当時まだ17歳の高校生が30代の役を演じ、求婚相手の女性役を50代の人が演じるかなりシュールな舞台になっていたそうです。
磯村勇斗にスカウトはなかった?ドラマ出演まで結構苦労していることが話題に!
高校を卒業してからは本格的な俳優の道に進むべく上京し、スカウトされようと渋谷を歩き回った磯村勇斗さん。
芸能事務所に所属するために「スカウトされに行ってました」と告白。渋谷や原宿を無意味に歩いたりしていたが、スカウトはされず「この俺がスカウトされないのはおかしい」と思ったと笑う。
引用:ザ・テレビジョン
しかし、中々スカウトの声がかかることはなく、少しずつ芝居の勉強をしていこうと知り合い伝いに紹介された小さな劇団に入団し、舞台に出ているうちに現在所属している事務所のスタッフに声を掛けられ、所属できるようになったとの事でした。
今でこそ人気若手俳優の一人ですが、コツコツと努力をした結果が今のブレイクに繋がっているのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は磯村勇斗の経歴まとめ!デビューのきっかけは?スカウトもなく苦労していた!についてご紹介させて頂きました。
磯村勇斗さんは話題作に次々と出演して一気にブレイクしたイケメン俳優のイメージがありましたが、実際は中々結果の出ない日々が続いた苦労人でもあったようです。
スカウト出身ではないですが、実力勝負でコツコツと努力を重ねてきたからこそ今の大ブレイクに繋がっているでしょうし、今後もさらに活躍の場が広がっていく事でしょう。
今後も勢いの止まらない人気若手俳優磯村勇斗を当サイトは引き続き応援し続けていきます。
今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。
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