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向井理が中国のハーフ・クォーターと言われる理由は?祖父・祖母の人生が壮絶!

イケメン俳優として大活躍されている向井理さん。

朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で一躍注目を集め、若い女性だけからではなく幅広い世代の女性にしてしまいましたよね。

女優の国仲涼子さんと結婚後も、人気は衰えることなくドラマや映画に引っ張りだこです。

今回はそんな俳優、向井理は中国人のハーフ・クォーター?祖父・祖母の人生が壮絶?現在の祖父・祖母は?について詳しく紹介させていただきます。

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向井理が中国人のハーフ・クォーターと言われる理由を確認!

向井理さんと言えば、日本人離れしたスタイルの持ち主ですよね。

小顔すぎて、芸能界の中でも隣に並びたくない俳優と言われてしまうそうですよ。

スタイル抜群モデルの菜々緒さんと並んでもこの通りです。

菜々緒さんに負けていないですよね。

そんな向井理さん、中国人のハーフ・クォーターではないかというがあるようなんです。

早速調べてみました。

向井理のことを中国人かなんかのハーフだと思って向井理(むかい り)って呼んでた

『 いつまた、君と 〜何日君再来〜 』 の何日君再来のフレーズのおかげで 向井理ハーフもしくはクウォーター説

確かに、向井理さんが中国のハーフかクォーターではないかというがあるようですね。

多くの方が2017年に公開された向井理さん主演映画「いつまた、君と 〜何日君再来〜」を見て、そのように思われたようです。

一体なぜなのでしょうか?

理由についてもリサーチしてみました。

調べたところ、「いつまた、君と 〜何日君再来〜」は、向井理さんの実の祖母をモデルにした映画なんそうです。

まずは映画予告編をご覧ください。

確かに、中国日本に住んでいる様子が描かれていますよね。

そして、映画のタイトルの中に中国語「何日君再来」が入っています。

以上のことから、向井理さんが中国のハーフ、クォーターではないかというに発展したんですね。

結論から申し上げると、向井理さんは純日本人です。

映画でも描かれているように、向井理さんの祖父祖母中国で生活をされていたことがありますが、戦争中に中国で生活されているんです。

映画でも描かれていますが、向井理さんの祖母の生まれ故郷は愛媛県でしたよ。

予告編だけを見た人たちが、噂を流してしまったかもしれませんね。

それに向井理さんは日本人離れしているスタイルの持ち主ですので、ハーフやクォーターと言われても納得してしまいます。

それだけ向井理さんについて世間からの関心が高いという証拠ですね。

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向井理の祖父・祖母の人生が壮絶?

向井理さんは、2017年に出演されたトーク番組「徹子の部屋」にて、祖父祖母人生が壮絶であったことをお話しされています。ちなみに祖父のお名前は吾郎さん祖母は朋子さんとおっしゃるそうです。

祖父軍務中国へ行くことになり、祖母中国ついて行かれたそうです。

日本から離れて暮らすだけでも大変なのに、戦時中に異国での生活を強いられていたのですね。

敗戦後は、土地貯金もなくし大変苦労したそうです。

食べるものもがなく、たった1つのパンを家族全員で分け合って食べていたそうです。

その後1974年頃から、夫婦で中古車を購入し運送業スタートさせますが、事業は上手くいかなかったそうですよ。

運送業が失敗に終わった後、タイル会社に勤めて仕事をされますが、、

病院に入院せざるをえなくなったり、別の社員が会社のお金を持ち逃げしたことでまたもや職を失います。

そこからは「ところてん屋」「かき氷屋」「おでん屋」などで家族を養っていかれたそうです。

その頃には子供も3人になっていました。

きっと家族を守らないとという責任感から一生懸命働かれていたのでしょうね。

しかし、なんとまたもや仕事をなくしてしまいます。

なんとかタイル販売や製油所で働きますが、台風がきっかけでその仕事もまた無くしてしまいます。

壮絶すぎますね。。

このように、祖父の吾郎さんは3人の子供を育てるため転職繰り返しながら毎日一生懸命生きていたとお話しされていました。

続けて、自身の祖母、祖父だけではなく戦争を体験した人全員壮絶な人生を送られていたのではないかともお話しされていましたよ。

また別のインタビューでは、向井理さんの祖父はどんなに苦しくても貧しくても闇市を絶対に使わない人だったもお話しされています。

更に曽祖父切腹して亡くなっているという事実もお話しされていましたね。

今の時代からは考えられない壮絶な人生ですね。

向井理さんは、大学生の時に祖母の手記を見つけ実費出版されているそうなんです。

この手記が、先ほども紹介させていただきました映画の「いつまた、君と 〜何日君再来〜」原作なんですね。

僕が祖母の手記に出会ったのは大学生のときでした。手記を自費出版して祖母の卒寿のお祝いにしようと母たちが考え、僕がパソコンでデータ化する作業を引き受けたんです。

AERA記事より引用

映画の企画にも携わった向井理さん。

映画公開前には、俳優さんの企画した映画はどうなの?などの酷評もあったそうです。

しかし公開後には、壮絶な人生ながらも生きることの喜びを感じることのできるすごい作品だと大変高評価な映画となりました。

向井理の現在の祖父・祖母は?

調べたところ、向井理さんの祖父のお名前芦村吾郎さん、祖母朋子さんで、お二人とも他界されていました。

祖父の吾郎さんは、47歳の誕生日に息を引き取ったそうです。

とても正義感のある曲がったことが大嫌いな性格だったと過去のインタビューにて向井理さんがお話しされていました。

祖母朋子さんと向井理さんととても仲がよく、おばあちゃん子だったそうです。

わりとおばあちゃん子でした。生まれた時から傍にいましたし、ずっと近くにいた存在です。週末はよく泊まりに行きましたし、晩年は一緒に住んでいました。

cinema net記事より引用

祖母朋子さんは2014年に他界されていることを、トーク番組「徹子の部屋」にてお話しされていました。

向井理さんの祖父祖母は当時では珍しい恋愛結婚だったそうですよ。

そして、誰もが認めるおしどり夫婦だったそうです。

祖父母の人生を映画にした「いつまた、君と 〜何日君再来〜」朋子役を演じた女優の尾野真千子さんは、向井理さんから聞いた祖母の思い出について感動したお話しを舞台挨拶にて披露していました。

「向井くんがおばあ様に『おじいちゃんのこと好き?』と聞いたことがあったらしくて。おばあ様は『愛してる』と言ったんですって。

ナタリー記事より引用

素敵なエピソードですね。

向井理さんと国仲涼子さんご夫婦もいつまでも愛し続ける素敵な夫婦でいてほしいですね。

まとめ

今回は俳優、向井理は中国人のハーフ・クォーター?祖父・祖母の人生が壮絶?現在の祖父・祖母は?について詳しく紹介させていただきました。

向井理さんの祖父母の人生を映画化した「いつまた、君と 〜何日君再来〜」とても素晴らしい映画ですね。

映画企画にまで積極的に参加されている向井理さん、俳優としてだけではなく製作側としての才能もあるんですね。

当サイトは引き続き向井理さんを応援し続けていきます。

今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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