待ちに待った4年に1度のサッカーW杯カタール大会が開催され、日本代表も強豪ドイツに勝利し世界中を驚かせました。
日本代表の中でも圧倒的なスピードが持ち味の伊東純也選手は、大一番となるスペイン戦でも活躍が期待されますね。
華やかな活躍が光る伊東純也選手ですが、日本代表になるまでの道のりは平坦ではなく実力で競争を勝ち抜いてきたハングリー精神も魅力です。
今回は伊東純也の学歴は?出身高校は逗葉高校!神奈川大学出身で学部は?について詳しくご紹介させていただきます。
伊東純也の学歴を調査!出身中学は?
伊東純也さんは神奈川県横須賀市立鴨居中学校の出身で、鴨居中学校はスポーツと文化部の部活動にも力を入れている学校です。
鴨居中学校の卒業生には伊東純也選手の他にも、JリーグSC相模原の柴崎貴広選手や元日本代表として活躍した谷口博之選手も同校の卒業生になります。
中学時代の伊東純也さんはサッカー部には所属しておらず、横須賀市にあるシーガルス・ジュニアユースに所属していました。
小学6年のときに横浜F・マリノスのジュニアユースの試験を受けるも、周りのレベルが高く残念ながら不合格になっています。
試験を受けたのも横浜F・マリノスジュニアユースから手紙が届き、2次試験まで免除ということで受かると思っていたところ落選しています。
このとき同じ日本代表の遠藤航選手も入団テストを受けていますが、伊東純也選手と同じく不合格になっていますね。
2人とも日本代表に欠かせない選手として活躍しているのも、入団テストで不合格になってから努力を重ね成長した精神力の強さも大きな武器ですね。
横浜F・マリノスのジュニアユースの入団テストは不合格でしたが、結果的に横須賀シーガルジュニアユースで伸び伸びとサッカーができたのはプラスだったと思います。
中学時代はサッカー選手として特別目立った成績は残していなかったので、サッカー選手として注目される存在ではありませんでしたね。
中学生時代の伊東純也さんを指導した監督によると、中学時代の伊東純也選手は学年25人の中で4、5番手の選手だったと話しています。
中学時代から伊東純也選手の大きな武器であるスピードを生かす練習を繰り返し、失敗してもケラケラ笑い弟キャラとして周囲から愛されていたそうです。
伊東純也選手は中学生の頃から練習で手を抜くことは一切なく、誰よりも上手くなりたいという強い気持ちでサッカーに打ち込み努力を重ねてきました。
中学時代はサッカー選手として無名だった伊東純也選手ですが、ひたむきにサッカーに打ち込み日本代表まで駆け上がったと思うと感慨深いですね。
伊東純也の出身高校は逗葉高校?学生時代は無名だった?
伊東純也選手は神奈川県立逗葉(ずよう)高校の出身で、学校名の逗葉は逗子市と葉山町の境にあることから名付けられました。
逗葉高校の卒業生にはお笑い芸人ネプチューンの堀内健さんや、サッカー選手の小野裕二さんや福田健介さんなども卒業生ですね。
逗葉高校は1978年に開校した県立校として、神奈川県内ではサッカー部が強豪校として知られ卒業生にはプロサッカー選手もいます。
伊東純也選手が逗葉高校に進学した主な理由としては、家庭の方針で公立校に進学することと自宅から通えるとの理由で進学しています。
高校に入ってからも伊東純也選手は無名の存在で、神奈川県予選に出場してもベスト32敗退やインターハイでも予選ベスト8くらいで負けていました。
サッカー選手として大きな注目を集めることはなくても、個人の力である程度は通用するという自信はあったと話しています。
高校時代は周囲の人達もプロになれないと思っていたそうですが、伊東純也選手は「絶対にプロになる」と強く思っていました。
高校3年生のときにサッカー強豪校の桐光学園と対戦し、結果は1-6で敗退するも伊東純也選手は大学のスカウトの目に留まります。
当時の様子を伊東純也選手の父親が次のように話しています。
「等々力での試合には、大学のスカウトが何人か来ていたようです。もちろん、桐光の選手を見るために。ですが、そこで純也が活躍したわけです。開始5分くらいだったかな。左サイドから敵を何人もかわし、シュートを決めて。あのプレーで名前を覚えてもらって、いくつかの大学から声をかけてもらえたんです」
引用:サカイク
大学のスカウトが何人か来ていたのも、伊東純也選手ではなく桐光学園の選手を見るために来ていたスカウトに伊東純也選手が試合で活躍しました。
複数の大学から声をかけてもらった伊東純也選手は、チームが惨敗する中でもキラリと光るプレーを見せ飛躍するきっかけを掴むことになります。
逗葉高校サッカー部は全国では強豪校レベルではありませんでしたが、そんな中でも伊東純也選手の潜在能力の高さは高校時代から抜群でしたね。
伊東純也は神奈川大学出身で学部は?進学した理由は?
伊東純也選手は大学進学時に複数の大学からスカウトの話がある中で、自宅から通いたいとの強い希望から神奈川大学の人間科学部へ進学します。
神奈川大学からのスポーツ推薦を受け入学後はサッカー部に所属し、サッカーに明け暮れる日々を過ごしていました。
当時の伊東純也選手の推薦入試の様子について、神奈川大学サッカー部監督の大森監督がインタビューの中で次のように答えています。
「推薦入試の実技試験の日、試験官が見ているのに動きが緩慢に見えたので、『今日は何の日か分かってる? 空気を読んでやらないとダメでしょ。今日の取り組む姿勢は最低だよ。純也が大学4年間、真剣にやったらプロになれる。でも真剣にやらなかったら、その辺のお兄ちゃんと一緒だぞ』と怒ったんです。あの頃はまだ未熟なところもあったけど、すぐに『すみませんでした』と。マイペースで素直なところが最大の強み。私が一度チームを離れる際、関森コーチに『純也をプロにできなかったら指導者失格だな』と言ったほど、潜在能力は高いものがありました」
引用:日刊ゲンダイ DIGITAL
大学2年の頃には伊東純也選手の才能は大きく開花するも、神奈川大学は大学2部リーグに降格してしまうことになります。
しかし大学3年の頃に伊東純也選手はセンターフォワードとして活躍し、大学2部リーグ20試合で17得点で得点王とベストイレブンに輝きます。
大学4年生になるとチーム事情もありセンターFWより少し下がった1.5列目でプレーし、10得点12アシストを記録しアシスト王と2年連続ベストイレブンに選出されます。
伊東純也選手の活躍もあり神奈川大学は関東大学2部リーグで2位になり、神奈川大学は1部昇格を成し遂げ伊東純也選手は全日本大学選抜に選出されます。
普段はマイペースな伊東純也選手も勝負事になると負けず嫌いを発揮し、大学時代には納得いかない試合では涙を流すほどの負けず嫌いでもあります。
伊東純也選手の性格についても大森監督は次のように答えています。
「そうですね。強豪大学から誘われても、すぐに飛びつかない。自分に合う大学を選ぶために、ちゃんと自己分析ができる。ここは俺に合っていないというような嗅覚が利くのかもしれませんね」
引用:日刊ゲンダイ DIGITAL
神奈川大学卒業生として初のW杯選手となった伊東純也選手は、厳しい上下関係のない神奈川大学サッカー部だったからこそ大きく飛躍できたのではと思います。
決して順風満帆な学生時代とはいえない伊東純也選手の最大の武器は、誰にも負けないハングリー精神とあくなき向上心が原動力ですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は伊東純也の学歴は?出身高校は逗葉高校!神奈川大学出身で学部は?について紹介しました。
今でこそ華々しい活躍を見せる伊東純也選手も、学生時代はほぼ無名の選手から努力を重ね日本代表にまでたどり着きました。
海外での活躍も世界中から注目される存在で、試合になれば先輩にも厳しい言葉を言い放つ度胸の良さも魅力です。
伊東純也選手にしかない雑草魂で世界を驚かせ続けてほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。