史上3人目・セ・リーグ初の三冠王達成者。世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録し、読売ジャイアンツのV9に貢献し、NPB史上歴代3位のシーズン最多本塁打記録55号の記録保持者で国民栄誉賞第一号の王貞治さん。2022年にヤクルトスワローズの村上宗隆選手に抜かれるまではアジア人として歴代1位だったことは良く知られています。
読売ジャイアンツのV9に貢献し、引退後は巨人・ダイエー・ソフトバンクの監督を歴任しました。2006年にはWBC (ワールドベースボールクラシック)で日本代表の監督を務め優勝を果たしました。
そんな輝かしい経歴がある王貞治さんですが、実は巨人の監督時代が闇だと言われているようなんです。
今回はそんな王貞治さんがなぜ巨人からソフトバンクへ行ったのか?について調査しました。
長嶋茂雄さんとの不仲説についても確認していきます。
ぜひ最後までご覧ください。
王貞治の巨人監督時代の評価が低すぎる?真相は?
王貞治さんは1959年に早稲田実業高校を卒業後契約金1600万円・年俸144万円という当時では破格の条件で巨人に入団しました。
最初はあまり成績を残せなかった王貞治さんですが、1962年に「一本足打法」にフォームを修正したことで打撃が開眼しました。
1964年にはシーズン55本塁打を達成しその記録は長年破られることはありませんでした。
その後も史上3人目・セリーグでは初の三冠王を達成したり、世界記録となる通産本塁打数868本を記録しました。
1980年に突然の引退後は3年間、藤田元司監督の元で助監督に務めました。
1983年にリーグ優勝を果たしたのちに巨人の第11代監督に就任しました。しかし就任後は3年間優勝から遠ざかり、監督としての資質に疑問を呈する声がファンや専門家から上がりました。
また1985年には自身の本塁打記録にあと1本と迫っていたランディ・バース選手に対して敬遠攻めで勝負しなかったことにも批判が集まりました。
監督就任から4年後の1987年には優勝を果たしましたが、日本シリーズで西武ライオンズに2勝4敗で敗れ日本一になることはできませんでした。翌年も優勝する事ができず、5年間でリーグ優勝1回・Aクラスを保持していましたが、フロントから責任を問われる形で辞任(事実上の解任)しました。
選手としては最高でしたが、原辰徳さんやクロマティーさんなどスター選手が全盛期でありながら、優勝は1回しかできず、監督としては柔軟性に欠けるところが見られたことや選手との関係もあまり良くなかったことが、評価が低かった理由ではないかと考えられます。
王貞治はなぜソフトバンクへ行った?
1994年に福岡ダイエーホークス(現在のソフトバンクホークス)の監督に就任した王貞治さんですが、なぜ福岡に行くことにしたのでしょうか?
1994年1月に前年から監督を率いていた根本陸夫さんは当時のダイエー球団代表の瀬戸山氏に「ワンちゃんを自分の次の監督に招くから」と直接紹介されていたそうです。
根本陸夫さんは日本シリーズで巨人を率いていた長嶋茂雄さんと王貞治さんの「ON」対決を日本シリーズで実現させ球界を盛り上げる壮大な構想を持ってました。
2月に打診をしたところ王貞治さんは「大変ありがたいお話ですが、私は巨人しか知りません。セ・リーグの野球しか知らないんです。東京育ちで福岡は遠すぎます。家内のこともありますから」と当初は乗り気でありませんでした。しかし説得を重ねホークスの監督に就任することになりました。
監督就任当初は成績が低迷していて最下位に終わることもありファンから”生卵”を投げられたり苦労が多かったようですが、それでも「俺は辞めない」「我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる」と発言しながら耐え忍んでいました。
1999年には球団創設11年目にして初のリーグ優勝・さらには日本シリーズで中日を倒し日本一に輝きました。
翌年の2000年には長嶋茂雄さんが率いる巨人との日本シリーズでの「ON」監督対決が実現しました。残念ながらその年日本一になることはできませんでしたが、世間から注目を集めました。
王貞治さんがソフトバンクへ行った理由は野球界を盛り上げたいという気持ちがあったからでしょうね。
2008年に監督を退任後もソフトバンクの球団取締役長としてまだまだ貢献されています。
王貞治と巨人が決別した理由は長嶋茂雄との不仲が原因?
野球界のスーパースターである王貞治さんと長嶋茂雄さんですが、不仲という噂を耳にしました。
「選手時代、マスコミに一緒に出ているところを見たことがない」という話があります。
長嶋茂雄さんが王貞治さんが巨人に入団する前から野球界のヒーローであり「世間ではONと呼ぶけれど、自分にとっては憧れ」と語っていました。
王貞治さんが巨人の監督を解任された時には、6年間巨人監督を務め、電撃的に解任された長嶋茂雄さんも「オレだけでなく、ワンちゃんにまで何をするんだ」と憤ったそうです。
その後、長嶋茂雄さんは日本初のサッカープロリーグとして誕生したJリーグの人気に対抗するため、93年に巨人監督に復帰しました。このことが、95年のダイエー・王監督誕生の引き金になり、王貞治さんも「長嶋さんが巨人に復帰したことが、ホークス監督を受諾するきっかけになったのは確かだ」と認めていました。
そして2000年に実現した「ON」監督対決も盛り上がり大注目を集めました。
2021年に行われた東京オリンピックでは揃って聖火ランナーを務めました。
松井秀喜さんに体を支えられた長嶋茂雄さんにそっと手を差し伸べ、気遣う王貞治さん。不仲だったらこんなことしないですよね。
王貞治さんが、巨人と決別した理由は長嶋茂雄さんとの不仲が原因ではなくソフトバンクに生涯を捧げる決意をしたからだと考えられます。
まとめ
いかがでしたか?
今回は王貞治さんの巨人監督時代が闇!なぜソフトバンクへ?決別の理由は長嶋茂雄さんとの不仲!について調査しました。
王貞治さんは巨人監督時代に監督をを事実上解任され評価はあまり高くありませんでした。
その後はホークスの監督になり長嶋茂雄さんと共に野球界を盛り上げることに貢献しました。
2人の不仲についてはそのような事実はありませんでした。王貞治さんにとって長嶋茂雄さんは憧れの先輩だったようです。
今後も王貞治さんの活躍を応援していきたいと思います。
最後までご覧くださりありがとうございました。