上白石萌音

上白石萌音は帰国子女?クォーターとの噂も!幼少期や昔の画像も確認

『ちはやふる』『君の名は』でブレイクし、今や映画やドラマに引っ張りだこの上白石萌音さん。

演技力が高く歌もうまい上白石萌音さんですが、なんとその上帰国子女という噂があるのです!

今回は、上白石萌音さんが帰国子女という噂について調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

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上白石萌音は帰国子女?噂の真相を徹底調査!

上白石萌音さんは幼少期からピアノ講師の母親の影響を受けて、音楽に囲まれて育っていったそうです。

小学1年生の時からミュージカルスクールに通い、歌唱力や表現力を培ってきました。

そんな上白石萌音さんですが、英語とスペイン語が堪能なんです!そのため、帰国子女なのでは?という噂が浮上しています。

実は上白石萌音さんが小学3年生~5年生の間、父親の仕事でメキシコに住んでいました。

そのため、れっきとした帰国子女だったのですね!

両親そろって教師をしていたそうで、父は社会科の教師で、いまも現役で働いているそうですよ。

母親は音楽の先生だったのですが、現在は辞めているそうです。

社会科の教師が海外に移住するのはかなりレアケースだと思いますが、調べていくと、お父さんはメキシコで日本語学校につとめていたみたいですね。

メキシコにある日本人学校で、3年間日本語を教えていたそうで、上白石萌音さんもその影響でスペイン語が堪能なのですね。

メキシコは公用語がスペイン語で、英語もだいたい通じるそうです。

上白石萌音さんは、スペイン語検定6級も取得しており、かなり語学が堪能なんですね。

しかし、海外に住んでいたのは小学生の3年間だけなので、帰国してからはどんどん忘れてしまいますよね。

当時は英語とスペイン語を日常的に話していたとしても、帰国してからそのレベルをキープするのはかなり大変だと思います。

上白石萌音さんがどのように語学力を維持していたかというと、大学時代が大きいようです。

上白石萌音さんさんは明治大学国際日本学部に通っていたのですが、とても充実したキャンパスライフを送っていたようです。

この学部は留学生も多く在籍しており、特に英語の授業に力を入れているそうです。

なんと多い週で8コマも英語の授業があり、英語だけを使ってプレゼンをしたり、翻訳も本格的に取り組んだそうです。

上白石萌音さんは忙しい合間でも勉強を欠かさず、英検2級を習得しています。

授業はとても面白かったそうで、寝ている生徒を見ると、「もったいないな」と思っていたとか。

明治大学には英語とスペイン語を集中して勉強できるカリキュラムがあり、それが目的で選んだみたいですね。

女優と並行して勉強も一生懸命していたみたいで、かなりの努力家なんですね。

上白石萌音はクォータ?鹿児島出身の噂も!

上白石萌音さんは鹿児島県出身で、鹿児島市立皇徳寺小学校卒業後、皇徳寺中学校に進学しています。

正真正銘日本産まれ日本育ちの上白石萌音さんですが、実は以前からハーフやクォーターと言われることがあるそうです。

前述したように、小学生のときにメキシコに住んでいたので、そのことからハーフ説が浮上したようですね。

また、妹の萌歌さんとともに目が大きくて整った顔立ちをしているため、見た目からも「もしかしてクオーター?」と言われるようになりました。

しかし、父親・母親どちらも純日本人なので、上白石萌音さんもれっきとした日本人ですね。

鹿児島県で生まれ育った萌音さんは、2歳になる前にはすらすらと言葉を話すようになり、よく歌う女の子だったそうです。

3歳から母にピアノを習い始めますが、練習が厳しすぎたため、小学1年生のときには挫折してしまいます。

その代わり、鹿児島市内のミュージカルスクール「マリアミュージカルアカデミー」に入りました。

母は上白石萌音さんがお腹にいるときから音楽を聴かせていたり、ピアノを弾いていたそうで、その影響をうけて上白石萌音さんは常に歌っているような子供だったそうです。

上白石萌音さんはもともと内気で引っ込み思案だったのですが、父の仕事の都合でメキシコ生活をしていくうちに、陽気なメキシコ人と交流して、どんどん明るい性格になっていったそうです。

メキシコでは日本人学校に通い、わずか8歳でもう英語とスペイン語をすらすら話していたそうですよ。

学校の図書室にたまに日本の小説が並ぶことがあるので、それを楽しみに待っていたそうです。

小学校の担任の先生が休みのときは、代わりに上白石萌音さんの父が学校にきたそうで、そのときに「本当にお父さんは先生なんだ」と思ったそうです。

上白石萌音の幼少期や昔の画像を確認!

上白石萌音さんは幼少期はとても大人しく、本を読むのが大好きな少女だったそうです。

いまでもお風呂に入りながら本を読むのが好きで、月10冊以上読むこともあるそうですよ。

幼少期の写真を見てみると、とっても可愛らしいですよね!

「上白石萌音」という名前は、音楽の先生だった母が名付け親なんです。

「音楽好きな子供に育ってほしい」という願いを込めて、姉妹それぞれ「音」と「歌」という字を入れました。

そして、両親ともにクロード・モネの絵が好きだったので、「モネ」に漢字を当てはめたそうですよ。

実家には父の趣味で購入した、モネのレプリカである「ヴェトゥイユの画家の庭園」が飾ってあるらしいです。

上白石萌音さんが小学生のときに通っていた「マリアミュージカルアカデミー」には、HKT48の宮脇咲良さんもいたそうです

当時から仲が良く、今もとっても仲良しみたいですね。

上白石萌音さんは両親の厳しいしつけのもとに育ち、冬にお仕置きをされるときはたくさん服を着て、家の外に追い出されたそうです。

中学1年生のときに、通っていたにミュージカルスクールの先生の提案で、第7回『東宝シンデレラオーディション』に応募します。

当時軽い気持ちでオーディションを受けたそうで、そもそも受かるわけがないと思っていたとか。

「もし最終選考に残ると東京に行ける!」という旅行気分だったのですが、とんとん拍子で選考が進んでいったそうです。

そこでは審査員特別賞を受賞し、芸能界入りとなりました。ちなみにそのときグランプリを受賞したのは妹・上白石萌歌さん。

姉妹揃って選ばれるなんて、すごいことですよね!

中学2年生から本格的に芸能界で活動をし始め、当時は仕事があるたびに鹿児島と東京を往復していました。

「スターとライン」のPVで妹とともに映像作品初出演を果たし、同年NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』でドラマデビューを果たします。

翌年にはミュージカル『王様と私』で初舞台を踏み、映画『おおかみこどもの雨と雪』で声優デビューを果たしたりと、あっという間に売れっ子女優になります。

高校進学と同時に上京し、母親と妹とともに所属事務所の寮で3人で暮らし始めます。

歌手としても楽曲を発表し、公式YouTubeチャンネルでMVを公開すると瞬く間に話題になり、都内のライブハウスでライブ活動もスタートしました。

その後は「ちはやふる」「君の名は」「溺れるナイフ」「恋はつづくよどこまでも」などの話題作に立て続けに出演し、人気・実力ともに確固たる地位を築いています!

まとめ

今回は、上白石萌音さんが帰国子女という噂について紹介しました。

小学生のときに父の仕事でメキシコに住んでおり、そのとき英語とスペイン語を習得したようです。

クオーターという噂もありましたが、帰国子女というだけで純日本人でした!

これからもたくさんの活躍を期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

 

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