2020年現在26歳という若さながら、多数のドラマや映画に出演している若手実力派女優の二階堂ふみさん。
2013年に出演した映画『ヒミズ』『悪の教典』での好演で、第36回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したちまち人気女優となりました。
そんな二階堂ふみさんですが、そのエキゾチックな顔立ちからハーフなのでは?と言われることが多いそうです。
今回は二階堂ふみさんのハーフ疑惑、生い立ちや若い頃についても調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
Contents
二階堂ふみはハーフ?フィリピンのクォーターとの噂も!
結論からいうと、二階堂ふみさんはハーフではありません。
二階堂ふみさんの出身は沖縄県なのですが、東京出身の和食料理人の父親と。沖縄出身の母親の間に誕生しています。
れっきとした日本人ということですね!
どこかエキゾチックな雰囲気が漂っているのは、沖縄の血が流れているからかもしれません。
沖縄人の顔は内地に比べて濃いと言われていますので、二階堂ふみさんもかなり目鼻立ちがくっきりしていますよね。
ちなみにフィリピンとのクオーター説もありましたが、こちらもガセネタのようです。
二階堂ふみさんは小学校6年生の時にスカウトされ、「沖縄美少女図鑑」に登場したことから芸能活動をスタートしています。
小学校6年生でいきなりスカウトされるほど美少女だったのですね!
二階堂ふみの生い立ちを確認!
ひとりっこの二階堂ふみさんは両親と3人暮らしでした。
沖縄県那覇市で生活しており、母親は若くして二階堂ふみさんを産み、父親も2歳年下とかなり若い両親だったようです。
二階堂ふみさんがまだ中学生の時に両親が離婚し、それ以降は母親に引き取られて2人暮らしをしていました。
以前徹子の部屋に出演した際、離婚による精神的ダメージはまだありますが、それぞれが別々の人生を幸せに暮らしているので、前向きな気持ちになっていると語っていました。
二階堂ふみさんは小学校6年生の時にモデルとして芸能界デビューを果たし、沖縄と東京を行ったり来たりしながら仕事をしていました。
二階堂さんが12歳の時に古着屋さんでスカウトされ、「フリーペーパーの”沖縄美少女図鑑”に載りませんか?」と言われたそうです。
フリーペーパーを見た事務所の人が沖縄まで訪れ、なんとなく楽しそうだからやってみようと決意します。
母親の影響で映画が好きだった二階堂ふみさんは、「もしかしたら映画に関われるかも・・」と期待したそうです。
そして、高校入学と同時に上京し、都立八潮高等学校に入学します。
高校3年生のときに映画やドラマの出演が重なりかなりハードスケジュールとなったので、現役で大学受験をするのを諦めます。
撮影現場にも参考書を持ち込んで勉強し、かなりの努力をした結果、2014年には慶応義塾大学総合政策学部にAO入試で合格します。
さらに二階堂ふみさんはとても英語が流暢なのですが、高校時代に2ヶ月間ニューヨークに留学していました。
英会話の学校にも通い、英語漬けの日々を送ったそうです。
2007年にテレビドラマ『受験の神様』で女優デビューを果たし、2009年公開の役所広司初監督作品『ガマの油』でヒロイン役に抜擢され]、「ポスト宮﨑あおい」とし注目を集めます。
2009年に出演した映画「ヒミズ」で日本人初のベネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人賞)を受賞し、ブレイクとなりました。
ドラマや映画と並行してバラエティ番組にも積極的に出演し、どんどん知名度を高めます。
その後は若手実力派女優として完全に地位を確立し、多くのファンを獲得しています。
二階堂ふみの若い頃の画像を確認!エピソードも
二階堂ふみさんの昔の画像をみていきましょう。沖縄出身の南国美少女!という感じでとても可愛いですよね。
二階堂ふみさんは中学まで沖縄と東京を往復しており、高校生になるときに上京しています。
当時のエピソードについてまとめてみました!
高校時代の親友
高校時代の友達で、大好きなバンド「神聖かまってちゃん」の話をしているときに二階堂ふみさんから話しかけたら親友になったそうです。
しかし人の名前を覚えるのが苦手だった二階堂ふみさんは、その子をしばらく「かまってちゃん」と呼んでいたとか。
その親友と二階堂ふみさんが一緒に牛丼屋へ行った際にご飯を半分以上残したのですが、そのとき二階堂ふみさんがものすごい剣幕で親友を怒ったそうです。
両親が食事に対して厳しく、残すことを許されなかったからだといいます。
友達や俳優仲間から二階堂ふみさんは”上品”な印象があるそうで、両親の教育がかなりしっかりしていたのでしょう。
美術の先生をビンタした
高校の時の美術講師が変人だったそうで、よくう〇ちのオブジェを作っていたとか。
「二階堂、このオブジェの上にまたがって。お前がしたように写真撮るから」といわれ、カチンときた二階堂ふみさんは先生を叩いたそうです。
先生をたたくなんて二階堂ふみさんもすごいですね。。
しかしこの先生とは仲が良く、よく恋愛相談にものってもらっていたそうです。
生徒会活動をしていた
高校生のときはかなり多忙だった二階堂ふみさんですが、生徒会活動をしていたそうです。
その理由が”校則を変えたい”ということで、「黒と紺以外のカーディガンはNG」という高速に納得いかなかったそうです。
ピンクのカーディガンをどうしても着たかったという理由でしたが、生徒会に入ってまで変えようとするなんてすごいですよね。
二階堂ふみさんは意外にも人見知りだったのですが、高校に進学して友達ができたことにより変わったそうです。
まとめ
今回は二階堂ふみさんのハーフ説について検証しました!
両親とも日本人というれっきとした純日本人だったのですが、母親が沖縄出身ということでエキゾチックな顔立ちをしているのですね!
小学6年生のときから芸能活動をスタートし、高校生から人気女優の地位を確立していきます。
今後もたくさんの作品に出演してほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。