小平奈緒

小平奈緒の学歴を調査!伊那西高校出身で偏差値は?大学は国立の信州大学!

女子スピードスケート界を牽引し続ける小平奈緒選手。

2018年に開催された平昌オリンピック女子500mで金メダルを獲得し、向かうところ敵なしの快進撃で世界中を魅了していますね。

ただ強いだけでなく常に冷静で気配りを絶やさない姿は、日本だけでなく世界中から人間性の素晴らしさも称賛されています。

決して順風満帆とはいえない競技生活だからこそ、人の痛みや弱さも理解できてライバルにも寄り添える強さも魅力ですね。

今回は小平奈緒の学歴を調査!伊那西高校出身で偏差値は?大学は国立の信州大学!について詳しくご紹介させていただきます。

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小平奈緒の学歴を調査!出身中学は?

小平奈緒選手の出身中学校は、長野県にある公立校の茅野市立北部中学校に通い、スピードスケート500mの中学記録を樹立しています。

中学時代は放課後にクラブで2時間ほどスケートの練習をした後に、父親が運転する車で55km離れたスケートクラブに通い2時間の練習をする日々でした。

練習後に帰宅する時間は夜の22時になることも多い中でも、小平奈緒選手はひたむきにスケートの練習をこなしていきます。

中学2年生の時には高校生を破り全日本ジュニア500mで優勝し、当時の中学生新記録で史上初の中学生の王者となり注目を集めます。

当時から指導していた新谷純夫さんは、「荒削りだが脚力がずば抜けている」と小平奈緒選手の能力を絶賛していますね。

また中学生ながら「間違いなく日本を背負って立つ子」と思っていて、小平奈緒選手も中学生の頃にはオリンピック出場を意識していたそうです。

中学生が高校生に勝って全日本ジュニアのチャンピオンになり、明確に将来の夢を描きオリンピックで金メダルを獲得するのは本当に素晴らしいですね。

小平奈緒選手が中学生になるまで父親の安彦さんがコーチ役を務め、近所に実業団選手が来ると練習を一緒に見て研究しています。

小平奈緒選手が小学生になると安彦さんは指示することなく、小平奈緒選手に練習メニューを作らせていたそうです。

安彦さんが小学生の小平奈緒選手に練習メニューを作らせた理由は、人から簡単に教わるのではなく、大事なことは自分で発見して行ってほしい気持ちからですね。

小平奈緒選手は3姉妹の末っ子ですが、2人の姉もスケートをしていて小平奈緒選手も姉に影響を受け3歳でスケートを始めました。

2人の姉は小平奈緒選手より4歳上と5歳上ということで、2人の姉がスケートクラブに通っていて幼い小平奈緒選手もスケートリンク場に連れていったそうです。

姉は小学校を卒業してスケートは辞めていますが、小平奈緒選手は本当に楽しそうにスケートに打ち込んでいましたね。

中学時代の小平奈緒選手はスケートだけでなくドッジボールにも熱中するなど、当時からスポーツが大好きで活発な少女でした。

スケートもやらされているのではなく自分が好きなことだからこそ、自分が納得するまで練習に打ち込み成長できたと思いますね。

小平奈緒は出身高校は伊那西高校!偏差値は?エピソードも!

小平奈緒選手の出身高校は長野県にある伊那西高校で、偏差値42の私立高で新体操部が強豪として知られています。

伊那西高校は女子校で普通科と進学コースがありますが、小平奈緒選手は偏差値42の進学コースに在籍していました。

中学時代から注目されスケートの強豪校からスカウトを受けていましたが、小平奈緒選手はスケート部のない伊那西高校に進学しています。

伊那西高等学校に進学後が小平奈緒選手も関わりスケート同好会を立ち上げ、同好会の一員として活動しインターハイ500mと1000mで2冠を達成していますね。

高校2年生の頃からコーチの新谷純夫さんの家の近くのアパートに下宿しながら、スケート漬けの日々を送り成長しています。

高校に入ってからも向かうところ敵なしの快進撃を続け、「日本女子スピードスケートの星」と呼ばれ注目を集めました。

小平奈緒選手の高校時代のニックネームは「モンチ」ですが、ニックネームの由来は短髪でモンチッチに似ていたからですね。

小平奈緒選手は高校時代も学校以外の時間はトレーニングに割き、ほぼ四六時中スケートのことを考え強さを追求し続けています。

常にスケートで結果を残すことを最優先してきたので、小平奈緒選手にとって恋愛よりスケートが恋人といった感じでしたね。

高校に入ってからも自分自身で考えて行動することで、伊那西高校にスケート部がなくても圧倒的な強さを維持できたのは間違いありません。

 

さらにスケートの実力だけでなく勉強の成績も良かったとのころで、高校時代の小平奈緒選手は文武両道で努力を怠らない日々でしたね。

小平奈緒選手は高校2年生の時から一人暮らしを始めていますが、一人暮らしをするとき父親の安彦さんから「全ては自己責任だ」と背中を押されています。

どんなことがあっても全て自己責任という安彦さんの教えが、小平奈緒選手の今も変わらない姿勢の基礎ですね。

小平奈緒の出身大学は国立の信州大学!

小平奈緒選手の出身大学は、長野県にある国立大学の信州大学です。

信州大学では教育学部でスポーツ科学を先行していますが、多くの有力選手は実業団に進む中で小平奈緒選手は信州大学に進学したのには理由がありました。

スピードスケート選手の有力選手が実業団に進む中で、小平奈緒選手は信州大学に一般入試で受験し合格を勝ち取りましたね。

信州大学に進学したのは教員になりたいという夢を持っていたことと、長野オリンピック金メダリストの清水宏保さんを育てた結城匡啓監督の指導を受けるためです。

小平奈緒選手にとって清水宏保さんは憧れの存在で、コーチとして高い評価を受け数多くの実績を残す結城匡啓監督の存在は大きいですね。

小平奈緒選手にとって信州大学の入試は「人生の中で一番の勝負だった」と話すほどで、入試の前日は極度の緊張で食べたものを全て戻してしまう緊張に襲われました。

国立大学にはスポーツ推薦もなく小平奈緒選手も特別扱いされることなく、高校時代に大会出場で学校に来られないときも遠征先でメールを受け取り大学入試の勉強をしています。

人生で一番だったと話す入試の緊張を乗り越え信州大学に入学後は、結城匡啓監督の指導を受け進化を遂げていますね。

信州大学で保健体育の中高教員免許を取得し、スケート漬けの日々の中でも教員免許を取得している姿は尊敬しかありません。

大学卒業の際には多くの実業団チームからの誘いを受けるも、地元である長野県に住み競技を続けるため全ての誘いを断っています。

しかし就職活動は難航し所属先が決まらない日々が続きますが、そんな時に小平奈緒選手に手を差し伸べたのが現在の所属先である相澤病院ですね。

小平奈緒選手は2008年11月にレース中に転倒し左足首を負傷しており、その時に通院していた病院が相澤病院という縁でしたね。

大学卒業後も所属先が決まらない小平奈緒選手を見た相澤病院の村上医師が、事情を汲み小平奈緒選手と理事長との面談を実現させました。

理事長面談には結城匡啓コーチも同席し小平奈緒選手の実績と将来性を熱く説明しますが、相澤病院の理事長は小平奈緒選手と会う前から採用をほぼ決めていたそうです。

相澤理事長は小平奈緒選手の純粋にスケートに取り組みたい気持ちに心を打たれ、当時は大赤字だった病院の経営化でも小平奈緒選手を採用し現在に至ります。

小平奈緒選手は相澤病院の職員として就職しますが、理事長は「スケートに専念してほしい」と話しスケートだけに集中できる最高の環境で世界と戦い続けていますね。

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まとめ

いかがでしたか?

今回は小平奈緒の学歴を調査!伊那西高校出身で偏差値は?大学は国立の信州大学!について紹介しました。

小平奈緒選手は学生時代から自分の将来像を見据えていて、その目標に向かって着実に成長できる強さを感じますね。

オリンピックで金メダル獲得後も謙虚な姿勢は変わらず、スピードスケートを楽しんでいる姿がとても印象的でした。

北京オリンピックで自分が納得できる滑りを期待しています。

最後までご覧くださいありがとうございました。

 

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