橋下徹

橋下徹の生い立ちが壮絶すぎる!実父親との関係や弁護士を志した理由がヤバい!

元大阪府知事で弁護士の橋下徹さんはコメンテータとしても活躍し、テレビで見ない日はないほど大活躍していますね。

政界引退後も鋭く斬り込む「橋本節」は健在で、大物政治家にも物怖じしない物言いで賛否両論あるのも橋下徹さんの特徴です。

人を惹き付ける話術と強いリーダーシップこそ、橋下徹さんが政治家として数々の改革を成し遂げられた原点だと思います。

今回は橋下徹の生い立ちが壮絶すぎる!実父親との関係や弁護士を志した理由がヤバい!について詳しくご紹介させていただきます。

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橋下徹の生い立ちが壮絶すぎると言われる原因は?出身地や経緯

政界引退後も言動が注目されている橋下徹さんですが、壮絶すぎると言われる生い立ちについて調査していきます。

橋下徹さんは1969年6月29日に東京都渋谷区幡ヶ谷で生まれ、幡ヶ谷の商店街の中にあるアパートの一室で暮らしていました。

橋下徹さんが物心ついた頃には両親が離婚していて、父親の記憶は橋下徹さんが2~3歳の頃に箸を投げたとき殴られた記憶くらいと話しています。

両親が離婚後は母親と4歳年下の妹と3人暮らしで、母親は2人の子供を育てるため昼も夜も働き詰めだったそうです。

母親は橋下徹さんに、「妹をいじめないこと・目上の人を敬うこと・人を傷つけないこと」の3つの事を約束させていました。

橋下徹さんの母親はしつけに厳しい母親でしたが、世間体を気にすることなく子供の進路については子供の考えを尊重しています。

橋下徹さんは小学5年の時に大阪府吹田市に引っ越しますが、その1年後には大阪市淀川区に引っ越すだと慌ただしい日々を過ごしています。

母子家庭で2人の子供を育て上げた母親ですが、当時は家計も苦しかったようで府営住宅に申し込んだところ同和地区の住宅に当たったそうです。

この同和地区は人が好まない卑しい仕事をしていた人が住む被差別部落とされ、現在も差別がある地区とされる場所でもあります。

-中略-

被差別部落

ひさべつぶらく

おもに近世における賤民(せんみん)的身分に起因して差別を受けている人々が移住する地域をさす。近代以後の制作による居てにゃ流入等によって必ずしも近世の賤民居住地域と一致するわけではない。

引用:コトバンク

もちろん住んでいる地区で差別されることは許されませんが、現在も少なからず同和地区というだけで差別されるそうです。

幼少期から引っ越しを繰り返していたこともあり、橋下徹さんは友達ができなかった寂しい経験もしていますね。

橋下徹さんが中学1年の時に母親が再婚していて、現在も橋下徹さん一家が住むマンションの階下に母親と義父が一緒に住んでいます。

中学時代から頭が良かった橋下徹さんは教師からも一目置かれる存在で、学校で飛行に走る生徒の怒りや悩みを聞き出し学校側と交渉していました。

当時の担任経論も次のように話しています。

「論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師からみても、こちらが見透かされているような怖さがあった」

引用:産経ニュース

この頃には教師から「橋本塾」と呼ばれるほど交渉術も抜群で、将来的に政治家になる片鱗を見せていたのは間違いありません。

橋下徹さんも「自分の人格を作ってくれたところ」は中学時代の生活と話していて、中学時代が人生の転機だったかもしれません。

橋下徹の実の父親は反社?両親との関係性は?

橋下徹さんが物心ついたとき両親が離婚していますが、父親は橋下徹さんが小学2年の時に自ら命を絶っています。

大阪府知事時代に「大阪都構想」を実現するため、大阪府知事の任期を3ヶ月ほど残して辞職し大阪市長選に立候補し当選しています。

橋下徹さんが大阪市長選に出馬した際に多くの週刊誌がネガティブキャンペーンを行い、父親の職業についても報道されました。

当時の週刊誌報道で父親は反社だったと報じられましたが、この週刊誌報道について橋下徹さんは概ね認めています。

ただ橋下徹さんが物心ついた頃には両親が離婚していること、父親に関する記憶はほとんどなく父親が反社であっても批判されるのは間違いだと思います。

当時は政治家として次々と改革を断行していたこともあり、橋下徹さんを心良く思わない人が批判的なコメントをしていたのも事実です。

父親との思い出はほとんど記憶にない橋下徹さんですが、母親とは現在も同じマンション内に住み家族ぐるみの付き合いをしているそうです。

 

橋下徹さんが母親と義父を呼び寄せたとされ、橋下徹さんが幼い頃から苦労して育ててくれた母親へ感謝する気持が伝わってきますね。

橋下徹さんの父親が反社だったことを報道で知った子供達は、「関係ないやん!」と言ってくれたことを明かしていました。

橋下徹さんの子供達がいう通り実の父親が反社だとしても、息子も悪人のように一斉に報じても橋下徹さんは負けませんでした。

多くの批判に晒されてきた橋下徹さんですが、政治家として残した功績の数々が色褪せることは決してありません。

橋下徹の生い立ち~大学時代まで・弁護士を志した理由は詐欺事件だった?

東京生まれの橋下徹さんは小学生の頃に大阪に転校しますが、この頃にはすでに身長170cmと小学生離れしていました。

東京から大阪に転校した当初は言葉の違いもあり、転校した初日に同級生にからかわれ殴られるなど壮絶な転校初日でした。

橋下徹さんが通っていた当時の小学校と中学校は荒れた学校でしたが、そんな荒れた学校で学校で強い存在の下に付いて生きる術を見出します。

中学でラグビー部に入ったのも好きで入部したのではなく、一番悪そうなラグビー部に入れば安全との思いからだったと話していました。

すでに中学時代には個人間やクラス同士の揉め事の仲裁に入り、お互いの主張を聞いた上で解決に導くなど飛び抜けた交渉術を発揮します。

高校受験前は偏差値44から猛勉強をした橋下徹さんは、大阪でもトップクラスの高校に合格した後に早稲田大学に入学し弁護士になります。

大学時代の橋下徹さんは事業への興味が強く、学生時代に革ジャンの卸売り販売の事業を行うも騙されて不渡手形を掴まされたのが弁護士を目指したきっかけと言われています。

不渡手形を掴まされてから反社の取り立て屋から脅しをかけられたことをきっかけに、弁護士になる決意を固め猛勉強し見事に弁護士試験に合格していますね。

1997年に弁護士となった橋下徹さんは、示談交渉や企業コンプライアンスやスポーツビジネスなどを得意分野として活動します。

2003年には芸能事務所と契約し弁護士タレントとしてバラエティ番組に出演し、その後は数多くのテレビ番組に出演し全国的な知名度を上げています。

弁護士タレントとして活躍していた橋下徹さんは、2007年に大阪府知事選挙に出馬し見事に当選し大阪の改革に着手し手腕を発揮しました。

大阪府知事や大阪市長を歴任した橋下徹さんですが、2015年に惜しまれつつ政界引退後は現在はコメンテーターとして活躍していますね。

橋下徹さんの言動が大きな物議を醸すことも少なくありませんが、多くのコメンテーターが言いにくい部分に切り込む姿勢は魅力的です。

まとめ

いかがでしたか?

今回は橋下徹の生い立ちが壮絶すぎる!実父親との関係や弁護士を志した理由がヤバい!について紹介しました。

弁護士として政治家として活躍している橋下徹さんですが、その生い立ちは壮絶で血の滲むような努力があってこそ現在の姿があると実感しましたね。

政治家として何かを改革することにリスクが伴うのは当然ですし、時に改革を断行することで橋下徹さんの家族まで身の危険にも晒されたこともありました。

政治家を引退後も根強い政界復帰の声が多くあるのも、大阪府知事として数々の功績を残してきたからこそですね。

橋下徹さんには今後も政治家と物怖じすることなく討論を期待したいです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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