ウエンツ瑛士

ウエンツ瑛士の学歴がすごい!高校は偏差値61の日大桜丘?出身中学は武蔵野東!

ウエンツ瑛士さんは子役時代から天才てれびくんに出演し、そのルックスとトーク力で人気があるハーフタレントです。

ウエンツ瑛士さんがトーク番組に出演すると「面白い」と評判になりますがきっと頭の回転が速いのでしょう。

そんなウエンツ瑛士さんの学歴が気になります。

そこで今回はウエンツ瑛士さんの学歴を調査してみました。

最後までご覧ください。

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ウエンツ瑛士の学歴を確認!出身中学は武蔵野東?

ウエンツ瑛士さんの出身中学は私立 武蔵野東中学校です。

中学ではバスケットボール部に所属していました。

バスケットボール部に入るきっかけはアニメ『スラムダンク』の影響なんだそうです。

2020年9月6日放送のテレビ朝日『国民13万人がガチ投票!アニメソング総選挙』に出演した際に明かしていました。

『スラムダンク』のエンディング曲であるWANDSの8枚目シングル『世界が終わるまでは』が紹介されると、ウエンツ瑛士さんは「この曲なくしてウエンツはいないですよ」と大興奮。

「バスケももちろんですけど『スラムダンク』って不良の部分もあるんですよ。けんかとか…不良と恋愛とバスケ(のアニメ)なんです」

スポニチ ウエンツ瑛士「スラダン」に影響された人生語る「バスケ部入った」「不良にもなった」より引用

影響を受けたのはバスケットだけでなく不良になったというエピソードも披露していました。

アニメの主人公 桜木花道が赤髪だったため「髪の毛も一度赤くしようとしました」とスラダン愛を熱く語ったウエンツ瑛士さん。

他にもアニソンやアニメの影響でバンドを組んでベースを担当していたとか。

後にウエンツ瑛士さんは小池徹平さんと『WaT』を結成し、ベースも担当しました。

中学時代のバンド経験は生かされましたね。

さらにはアニメ『みどりのマキバオー』を見て「騎手になる!」とも言ってたそうですよ。

2020年4月12日放送『行列のできる法律相談所』でMCを務めた際、騎手になろうと思ったエピソードを明かしていました。

「15歳のときに履歴書を取り寄せて書いて、千葉の(競馬)学校に行くところまで。本当に」

サンスポ ミシェル騎手、ウエンツがジョッキーにならなかった理由に苦笑 より引用

結構本気だったんですね。

ゲスト出演していたミカエル・ミシェル騎手に「なぜジョッキーになっていないの?」と質問されたウエンツ瑛士さん。

こっち(芸能界)の方がお金が稼げそうだったから

と笑いを誘っていました。

アニメの影響でバスケ部に所属、バンドも組んで騎手にもなろうとしていたなんて行動派ですね。

ジャニーズ事務所からスカウトされていた

中学時代には小学校から引き続き『天才テレビくん』にテレビ戦士として出演していました。

中学2年生の頃天才てれびくんを卒業。

さらには当時所属していた事務所が子役専門の事務所だったため、中学3年生で退社を余儀なくされます。

その際ジャニーズ事務所からスカウトが来たそうです。

きっかけは天才てれびくんで一緒に出演していた生田斗真さんでした。

しかしウエンツ瑛士さんは断ります。

表向きの理由としては「芸能界に興味がない」と言っていたウエンツ瑛士さんですが、ある番組内で当時の心境を語っています。

2020年7月29日放送の日本テレビ「1周回って知らない話 夏の2時間SP」に出演。

14歳で芸能界を引退する当時はオーディションを受けても落ち続け仕事がなかったと明かしていました。

当時、周囲には「興味がなくなったから辞めた」と言っていたが、「オーディションに落ちてるのも言いたくないし、認めたくないので(そう)言ってたのかな」。

スポニチ ウエンツ瑛士、芸能界引退の過去 “ライバル”生田斗真にも言えず「すごく意識してた」より引用

生田斗真さんにも相談できなかったそうです。

譲れないプライドがあったのでしょうね。

「テレビに出てたよね」といじられた

芸能界を一時引退し、普通の中学生活を送ったウエンツ瑛士さん。

部活動に打ち込み学校行事に参加したりして「楽しかった」と明かしていました。

学生と芸能活動を同時に行っていると学校行事に参加できないことも多くあります。

4歳からモデルとして活躍していたウエンツ瑛士さんにとっては大事な時間かもしれませんね。

さらには好きな子が出来たりバレンタインで1学年年上の先輩からチョコをもらうなど中学生活を謳歌してたようです。

ただし元芸能人ならではの苦悩も。

「一番つらかったのは学校とかで『出てたよね』ってみんなにいじられることでしたけど、僕はそれを『やってました!』って言うほうだったですけど」

スポニチ ウエンツ瑛士、芸能界引退の過去 “ライバル”生田斗真にも言えず「すごく意識してた」より引用

明るいキャラで乗り切ったようです。

いじりをさらっとかわすテクニックも大人と仕事をしていたことから身につけたのかもしれませんね。

驚きの勉強法

ウエンツ瑛士さんは中学3年生の頃、高校進学の際に推薦をもらえるように猛勉強したそうです。

学年で10位以内という優秀な成績を取っていたとのこと。

その勉強法が特殊でその名も『全裸勉強法』。

この勉強法は「夜などに全裸になり机に向かう」というものです。

実家にいるとき限定で全部脱いで勉強すると緊張感が増すんだとか。

「親がいつ起きてくるかわからないし、寝ちゃった場合恥ずかしい姿で朝起きるので絶対に寝られない」

excite ニュース 絶大効果!?ウエンツ瑛士が実践していた「斬新すぎる勉強法」とは より引用

この方法で実際ウエンツ瑛士さんは10位以内に入ったことがあるので実績があります。

確かにこれなら勉強中に寝ることはないでしょうね。

【画像】ウエンツ瑛士の中学・高校時代の卒アルは?学生時代の部活やエピソードを確認!映画「ゲゲゲの鬼太郎」で第31回日本アカデミー賞 「新人俳優賞」を受賞してから、俳優としての 地位も確立したウエンツ瑛士さん。 バ...
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ウエンツ瑛士の出身高校は偏差値61の日大桜丘高校?

ウエンツ瑛士さんの出身高校は、日本大学櫻丘高校です。

事務所からは芸能活動を優先させるために堀越学園を進められますが、拒否して同校へ進学しています。

拒否した理由は大学を卒業して一般企業で働きたいと考えていたから。

そのため進学校である日本大学櫻丘高校を選んだようです。

芸能界についてインタビューでこのように明かしています。

努力してもそれが必ず報われる世界じゃないし、簡単に仕事もなくなってしまう。そこに一生を託すというふうには考えられなかったんです。

Number Web 「自分の偽物感はぬぐえなかった」芸歴31年目のウエンツ瑛士が初めて明かす“海外挑戦”を決断した日 より引用

幼いころから芸能活動をしていたことから芸能界の厳しさを分かっていたのですね。

ちなみに中学時代に成績が優秀だったため、日本大学櫻丘高校へは推薦で入学しています。

入学後も成績はよく、1年生の頃は学年8位になったこともあったそうですよ。

映画『ゲゲゲの鬼太郎』では一緒に出演した北乃きいさんが夏の思い出として「やっぱり、夏休みの理数系の宿題をウエンツさんに教えて貰ったことです!」と答えていました。

理数系は得意不得意が分かれます。

また、人に教えることができるのは自分がしっかりと理解していなければいけません。

このことからウエンツ瑛士さんは芸能の仕事も勉強も両立していたということが分かりますね。

ウエンツ瑛士さんが入学した日本大学櫻丘高校は基本的にバイトは禁止、仕事もダメだったようです。

単位も出席日数もギリギリだった僕のことをよく思わない先生はいたと思う」とインタビューで当時を振り返っていました。

それでも応援してくれる先生はいましたし、友だちには本当に恵まれました。今でもプライベートでつるんで、すごく助けられています。

婦人公論.jp ウエンツ瑛士 イギリス留学前は「人の期待に応えること」が最優先だった より引用

ウエンツ瑛士さんの人柄で応援する先生や友人も出来るのだと思います。

人間性が表れるエピソードですね。

改心する出来事

高校入学とほぼ同時に芸能活動を続けることになったウエンツ瑛士さんですが、中学3年生で所属事務所を退社した後はオーディションにも落ち続けていたそうです。

当時続ける意味を見失ったウエンツ瑛士さんは「どんどんやる気が無くなって…」と引退を決意したとのこと。

芸能事務所はフリーになったウエンツ瑛士さんを放っておかず、数社からオファーが来ましたが、1社ずつ「興味がない」と断りに行く日々が続きました。

引退の決意は強かったのですね。

そんな中、最後に断りに行ったのが現在の事務所。

郷ひろみさんの紹介だったこともあり、ウエンツ瑛士さんは同席した母と共に雰囲気にのまれてしまい契約書にサインしたそうです。

断るつもりだったのに事務所が決まってしまったこともあってか一向にやる気が出なかったとのこと。

後にウエンツ瑛士さんの心を入れ替えるようなマネージャーの行動があったと言います。

マネージャーが仕事を取りに行くところを見て来い」と言われてテレビ局のあいさつ回りに同行した時のこと。

マネージャーが目の前で「仕事をこの子にください」と土下座する瞬間を目撃したそうです。

ここで「やらなきゃいけない」と決心したと明かしていました。

しかし土下座したマネージャーは半年後に退社してしまい

「あの人のために頑張ろうとしたのにあの人はもういないんです!」

live NEWS ウエンツ瑛士が引退と復帰の真相を語る マネジャーの土下座で改心 より引用

と吐露していました。

やろうと思った瞬間、ウエンツ瑛士さんは人として大きく成長したのではないでしょうか。

普通に高校生活を送っていただけではできない経験ですね。

WaTを結成

ウエンツ瑛士さんが高校2年生だった2002年には小池徹平さんとデュオ『WaT』を結成。

2人で路上ライブを始めるとたちまち反響を呼び紅白歌合戦の出場も果たします。

実は『WaT』は、同じ事務所であったウエンツ瑛士さんと小池徹平さんが、事務所から言われたのではなく音楽の趣味が一致しプライベートで始めたのがキッカケなんだそうです。

反響は大きく高校3年生の頃には全国の大学の学園祭に出演するほど。

そんな『WaT』ですがユニット名に別の候補案があったことを明かしています。

2021年1月31日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ワイドナショー』に出演したウエンツ瑛士さん。

メジャーにいった時に(ユニット名を)ちゃんと考えようかと。安易すぎるとなって、1回、企画会議みたいなことをやったんですよ」と暴露。

幻のコンビ名は“ラビット&タートル”だったそうですよ。

「ライバル同士でもあるしお互い競い合ってというのもあって。僕のほうがデビューが早かったからラビット」

マイナビニュース ウエンツ瑛士、WaT幻のユニット名を告白「ラビット&タートルでした」より引用

話し合いの結果最終的には『WaT』で活動していくことになったとのこと。

最初は気の合う二人が始めたユニットだったため、予想以上に人気が出てユニット名を考え直す機会があったのでしょうね。

ウエンツ瑛士は日大に進学した?最終学歴を確認!

ウエンツ瑛士さんは日大には進学しませんでした。

最終学齢は日本大学櫻丘高校となります。

ウエンツ瑛士さんは大学に進学して普通の企業に就職したいと思っていたことから普通の高校、できれば大学付属の高校に行くことを貫き日本大学櫻丘高校へ進学しました。

大学に進学するか否かを決めた時「本当に今の仕事をやめるならここだな」という岐路が訪れたと言います。

もしもどこかの大学に入学していたら、そのまま卒業して企業に就職していたと思う」とインタビューで明かしていました。

ウエンツ瑛士さんは大学入試試験を受けたのか気になり調査したところ、あるインタビュー記事の序文にこのような一文を見つけました。

有名私立大学を受験するものの、高校の出席日数が問題となり、合格できなかったという。

NumberWeb 「自分の偽物感はぬぐえなかった」芸歴31年目のウエンツ瑛士が初めて明かす“海外挑戦”を決断した日 より引用

受験したのか受験前の推薦で落ちたのか、大学も日大だったのか他の大学だったのか、詳しいことは明らかにはされていませんでした。

さらにウエンツ瑛士さんは2018年10月からイギリスへ留学しています。

その留学先がイギリスの大学の可能性もあります。

調査した結果、ウエンツ瑛士さんの留学先は大学ではなかったと思われます。

ウエンツ瑛士さんはどこのスクールに入学したのか公開していません。

しかし2020年6月19日放送の『アナザースカイⅡ』でウエンツ瑛士さんのイギリス留学生活が明かされています。

番組内では『平日は朝から晩まで語学学校で英語を学び、休日は芝居やミュージカルの観劇に明け暮れる日々。』と紹介されていました。

またインタビュー記事の中でも『それでも「ロンドンで一番厳しい」とされる語学学校に留学先を決め、単身日本を飛び立った。』と語られていました。

語学学校とのことからイギリスの大学ではないことが分かります。

同じ記事内では『(語学学校の)放課後には演劇学校やボイストレーニングの授業もある。』とも書かれていました。

語学学校と並行して演劇学校にも通っていたのかもしれません。

ウエンツ瑛士さんが留学の理由が「いつかロンドンで舞台に立ちたいという夢を持ち始めたから」とのことだったので演劇学校だったのでしょう。

ハーフであるウエンツ瑛士さんはなぜ演劇だけでなく語学留学もしたのか。

その理由は全く英語が喋れなかったからなんです。

ウエンツ瑛士さんは見た目がどちらかと言うと外国人寄りなので意外ですよね。

「(留学の)最初の数カ月は、何を言っているか全然わからない。だから何を習っているのかもわからない。脳がパニック状態でした。秋から冬に向かうロンドンは日も短いし天気も悪い。気持ちは暗くなる一方でした」

AERAdot. ウエンツ瑛士 留学の理由は英語でも演劇でもなく「少し休みたかった」より引用

それに加えて学校生活はハードだったと言います。

月曜から金曜まで、毎日5時間の授業と宿題の山。

週1回のテスト、月1回の試験。

先述したように放課後には演劇学校やボイストレーニングの授業もあったそうです。

時間があくと劇場に通って芝居をみたようで「あれもこれも」と思う気持ちに反し、どんどん疲れていく自分に気が付いたのだとか。

あるとき日本人と日本語で話す機会があり、リラックスして楽しかったと言います。

それをきっかけに英語が聞き取れるようになったそうです。

それまで気を張っていたんでしょう。

言葉も通じない異国の地なので仕方ありません。

心にゆとりが出来たから英語が分かるようになったのかもしれませんね。

ハードな留学中には全編英語での1時間半の2人芝居にもチャレンジしたそうです。

劇場、演出家、共演者などすべて自分で探した手作りの舞台でした。

これはビザの関係上収入を得るような公演は出来ないためだと考えられます。

忙しい学校生活の中でもチャレンジするウエンツ瑛士さんの精神は見習いたいですね。

大学に進学せずに芸能活動をつづけたウエンツ瑛士さん。

そのためロンドンで舞台に立ちたいという夢を見つけることができ、イギリス留学まで行いました。

もしかしたら一般企業に勤めていたら見ることはない夢だったかもしれませんね。

まとめ

今回はウエンツ瑛士さんの学歴について調査しました。

出身中学は武蔵野東中学校、最終学歴は日本大学櫻丘高校で大学には進学していないことが分かりましたね。

これからもウエンツ瑛士さんを応援していきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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