
人気ロックバンドBUNP OF CHICKENは、独特な世界観とボーカルの藤原基央さんの歌唱力にも定評があります。
ファンだけでなくミュージシャンからも一目置かれる存在で、時代の波に流されない強い信念を貫き通せる数少ないバンドですね。
今回は気になる学歴について、藤原基中の学歴まとめ!、高校は71偏差値の佐倉?日出高校卒や中退の噂を調査していきます。
藤原基央の学歴まとめ!出身中学を確認!
BUNP OF CHICKENはメンバー4人全員が幼稚園からの幼馴染で、全国でバンドを志す高校生たちの空想を地で体現してきたバンドです。
そんな中でも藤原基中さんは【音楽の天才】と絶賛され、多くのゲスの極み乙女の川谷絵音さんやスピッツの草野マサムネさんも才能を高く評価しています。
BUNP OF CHICKENのほぼすべての作詞作曲を手掛け、2001年に発売された【天体観測】は58万枚を超える代表作ですね。
そんな藤原基央さんの出身中学は千葉県の佐倉私立臼井中学校出身で、BUNP OF CHICKENのメンバー全員も臼井中学校出身です。
さらに中学時代はメンバー全員がバスケ部に所属していましたが、4人とも補欠で部活中は体育館を真っ暗にして暗闇ごっこをしていました。
もしメンバーの中で1人だけレギュラーだったとすれば、4人が現在のような信頼関係を築けなかったかもしれませんね。
バスケ部で意気投合した4人は中学3年の頃に【ハゲバンド】というバンドを結成し、BUNP OF CHICKENの基礎が築かれました。
この【ハゲバンド】は当初はギター担当の増川弘明さんは裏方で、【ハゲバンド】はもう一人「アイツ」というメンバーがいました。
しかし「アイツ」と呼ばれていたメンバーが練習に来なくなり、裏方だった増川弘明さんを入れ文化祭に出場し大健闘しています。
もし「ハゲバンド」メンバーの一人が練習に来なかったことが、結果的に日本を代表するバンドBUNP OF CHICKENの誕生に結びつきます。
中学時代は地元の佐倉市内のスーパーが4人の遊び場で、よく4人で一緒にラーメンを食べていたとインタビューで話しています。
佐倉で思い出に残っていることはなんですか。
藤原 ジャスコ。
ジャスコで友達と遊びに行ったり、バンドのみんなと行った。
一階の大衆食堂でラーメン食ったりしてた。
高校生になってから、八百屋でみかん箱売ってバイトしてた。引用:「さくらっち」佐倉市キッズページ
バスケ部では万年補欠だった藤原基央さんでしたが、学年で一人だけ金髪ながら成績が良かったので先生から注意されることはありませんでした。
一人だけ金髪でも先生から注意されないように、藤原基央さんは中学時代から信念を貫き通してきた姿が目に浮かんできますね。


藤原基央の出身高校は71偏差値の佐倉?日出との噂も!

藤原基央さんの出身高校は、千葉県の日出学園高校です。
偏差値64で「やや難関」とされます。
日出学園高校は千葉県市川市にある私立高校で、俳優のエド・はるみさんも同校の卒業生になります。
日出といえば多くの芸能人が通う日出高校(現在は目黒日本大学高校)が有名ですが、日出学園高校は違う学校法人が経営しています。
藤原基央さんは千葉県有数の進学校で佐倉高校出身との噂もありますが、実際は佐倉高校を受験していますが不合格になっています。
同じBUNP OF CHICKENのメンバー増川弘明さんは、佐倉高校を受験し合格しています。
藤原基央さんといえば長い前髪が特徴的ですが、幼少期から視力が非常に悪く目を細めて見るので父親から「目つきが悪い!」と言われていました。

目を細めて物を見るので睨んでいると言われることも多く、目がコンプレックスで目が見えないように前髪を長くしています。
藤原基央さんは幼少期から「人と同じことが嫌い」な少年で、他の生徒と違うことを言って先生を困らせることも多々ありました。
小学生の頃にはお小遣いを貯めて、姉の友達からアコースティック・ギターを購入しています。
学生時代母に毎日400円を昼食代として
貰っていたが100円だけ使って
残りの300円を毎日コツコツ貯金してギターを購入した引用:おにぎりまとめ
藤原基央の最終学歴を確認!大学には進学した?高校中退の噂も!
藤原基央さんは日出学園高校に進学しましたが、
高校1年の秋には学校の雰囲気に馴染めず高校を中退しています。
藤原基央さん自身は中学のようにワイワイ楽しい高校生活を送りたかったようです。
しかし、
学校では1年生の頃から希望の進学先の大学を書かされていたり
それに対して他の学生も普通に希望の大学をかけるところに引いてしまったんだとか。
結局ワイワイ過ごすというよりは勉強中心の学校の雰囲気が合わなかったようですね。
高校を中退した後は実家に5万円入れることを義務づけられ、高校中退後はファミレスやバーテンダー、肉体労働など数々のアルバイトをしてきました。
実家に家賃5万円を収めていた藤原基央さんは、実家に5万円を納めるなら東京で一人暮らしを決意し16歳で上京します。
もし自分なら16歳で上京し一人暮らしする姿は想像できませんが、藤原基央さんは16歳の頃にはビジョンが銘明確ですね。
上京した後もバンド活動を続けるため、毎週火曜日は地元に帰って練習していました。
上京した最初は知人の家を転々とする日々で、泊まる場所がない時は公園で野宿していて苦労は絶えなかったそうです。
その後
1996年、藤原基央さんが17歳の頃には
現在のBUNP OF CHICKENのメンバーで活動をされていました。
また、
この年に高校生の音楽イベント「BEAT BRUSH IN JAPAN」にも出場。
なんと全国優勝を果たされています。

ほとんどの人は先の事を考えて躊躇してしまいがちですが、藤原基央さんは夢に突き進むタイプで突破力で突き進んでこられたのでしょう。
ミスチルの桜井さんはBUNP OF CHICKENの大ファンとして有名で、過去にはインタビューの中でも大絶賛しています。
・メンバーに入りたいくらい好き
・人生で最も好きになったバンド
・2000年代の自らを最も象徴する曲は「ロストマン」
・いっつも、ことあるごとに歌ってる
・(藤くんは)太宰治レベルの芸術
引用:音鳴りどうし.biz
桜井さんも藤原基央さんを「太宰治レベルの芸術」と称していて、ストーリ性のある作詞が作家レベルなのは間違いありません。
作詞の天才藤原基央がsupernovaで綺麗に表現したこのフレーズを
— こじらぶ(Kojirabu) (@kojirabu0419) February 8, 2018
“僕らの時計は止まらないで動くんだ”
てちは不器用ながらもっと複雑で奥深い言葉で表していると思う
Techi’s expression is profound
“時はとまっていない世界にいる”
We exist in the world where the time isn’t stop.
2001年に発売された「天体観測」は、藤原基央さんが19歳の時に作られています。

2002年に放送されたドラマ「天体観測」の主題歌で、このドラマはBUNP OF CHICKENの「天体観測」のイメージから作られています。
よくドラマのイメージから曲が作られる話は聞きますが、曲からドラマが作られるのも藤原基央さんが天才と呼ばれる由縁ですね。
まとめ
藤原基央さんの学歴について紹介してきましたが、BUNP OF CHICKENがブレイクするまでには想像を絶する苦労がありました。
高校中退後に上京して苦労を重ねてきたからこそ、藤原基央さんにしか出せない世界観が構築されたのは間違いありませんね。
どんなにブレイクしても自分の信念を貫き通す姿は、多くの人に勇気を与えてくれる貴重な存在が藤原基央さんだと思います。