男女混合4人組ポップ・ロック・バンド「緑黄色社会」でボーカルを務める長屋晴子さん。
大塚愛さんやいきものがかりに憧れ歌手を目指し、その可愛いらしいルックスと透き通る歌声でファンを魅了しています。
そんな長屋晴子さんは学生時代の姿が見たいですよね?
今回は長屋晴子さんの卒アルを調査しました。
学生時代の部活についても確認していきます。
ぜひ最後までご覧ください。
長屋 晴子の中学の卒アルはある?画像(緑黄色社会 ボーカル)
人気バンド「緑黄色社会」でボーカルとギターを担当している長屋晴子さんの生年月日は1995年5月28日で出身は愛知県名古屋市です。
出身中学校については名古屋市内のようですが、校名など詳細については明らかになっていません。
幼い頃から姉の影響でピアノを習っていて物心ついた時には自分の中で「私は音楽をやっていくんだろうな」と思っていたそうです。
また小さい頃は物に囲まれた家庭で育ち南知多ビーチランドの水族館や動物園によく母親に連れて行ってもらっていました。
小中学校の頃には、失敗すると友達から笑われたりするのがすごく嫌で、理科の実験とかでも火を付けたりする重要な役割ではなく、誰にも迷惑をかけない最後の後片付けをしていたそうです。責任を負わされるのが嫌で、行動に移すまで時間がかかってしまうような子だったと明かしています。
長屋晴子さんの中学時代の卒アルについては残念ながら発見することができませんでしたが、中学時代はネガティブでおとなしい性格だったことがわかりました。
長屋 晴子の高校の卒アルを確認!画像
長屋晴子さんの出身高校は愛知県にある私立の共学校の中京大附属中京高校です。
この学校を選んだ理由は「軽音部がある高校」だったからだそうです。
高校2年生の頃に「緑黄色社会」を結成しました。当時は男女5人組でしたが。2015年12月にはドラムを担当していた杉江泰周さんが脱退し、現在の4人での活動となりました。
当時の画像がこちらです。
高校に入学前より長屋晴子さんと小林壱誓さんはSNSで繋がっていて、2人ともボーカル志望でした。「ボーカルをどっちにする?」といった会話はなかったようですが、部室で楽器を準備していた時に長屋晴子さんの鼻歌を聴いた小林壱誓さんが、”負けた”と悟ったことから長屋晴子さんがボーカルを担当することになりました。
結成の翌年の2013年に出場した、10代検定の音楽フェス「閃光ライオネット」では準グランプリを獲得しました。
ですが、高校時代には意外にも奇抜な服装をしていたそうです。
「中学までは真面目だったから、高校は自分の好きな感じで生きようと思って、前髪を眉上で斜めに自分でカットしてたの。で、さらに、黄色いカメラ型のポシェットを首から提げて毎日登下校してたのね。そんなに、自分では“イタイ奴”だと思ってなかった。むしろ、可愛いしオシャレだと思ってたから。」
引用:日本放送NEWS NLINEより
それでも、先生に怒られたりすることはなく「浮いてはいなかった!」と語っていました。
当時の奇抜な姿の画像は発見できませんでしたが、貴重な制服姿の画像がありました!
とても初々しくて可愛いですね。
残念ながら高校の卒アルについても確認できませんでしたが、高校時代からすでにとても可愛かったことがわかりました。
長屋晴子の学生時代の部活は吹奏楽部?担当はトロンボーン?
長屋晴子さんは、小学4年生の時から、金管部に入部しトロンボーンを担当していました。
中学時代の3年間も吹奏楽部てトロンボーンを担当し、3年生の時には部長を務めていました。
当時の練習について人生で一番がんばった時期と語っていました。
まずはランニング。次は腹筋と背筋のトレーニング。個人練習の後は、長い長いロングトーンです。それが終わるとやっと合奏。練習するたび、できることが増えて、曲がよくなっていく。音楽ってやりがいがあって奥深い、と感じられる楽しい時間でした。
引用:朝日新聞デジタルより
1年生から吹奏楽部コンクールに出場していました。
「格好いい3年生の先輩たちに金賞を取らせたい」という気持ちで頑張り、「ゴールド金賞」を獲得し、地区代表になりました。
県大会では金賞ではなかったそうですが、その時演奏した「ポロヌプ」(酒井格作曲)は、今も時々聴くなど思い出の曲だそうです。
3年生の時には部長になりそこで経験した、人をまとめる難しさや先生の代わりに指揮台に立ったりすることで感覚が研ぎ澄まされて、いろんな音が聴こえるようなったことが、現在のバンド活動で生かされているそうです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は長屋晴子さんの卒アルを確認!学生時代の部活は吹奏楽部でトロンボーン担当?について調査しました。
残念がながら長屋晴子さんの卒アルは確認することはできませんでしたが、中学時代は吹奏楽部でトロンボーンを担当し3年生の時には部長を務めていたことがわかりました。
高校では軽音部に所属し現在のバンド「緑黄色社会」を結成されていました。
バンド活動の原点は中学時代の吹奏楽部で、その3年間はとても貴重な体験だったようです。
今後も長屋晴子さんの活躍を応援していきたいと思います。
最後までご覧くださりありがとうございました。