柳俊太郎

【画像】柳俊太郎の中学・高校の卒アルはある?学生時代の部活はサッカーとバレーボール!

2009年にMEN’S NON-NOモデルグランプリを受賞しデビュー後、2012年の映画『ヴァージン「深くこの性を愛すべし」』で俳優デビューした柳俊太郎さん。

映画「弱虫ペダル」やドラマ「新・信長公記〜クラスメイトは戦国武将〜」など映画やドラマの話題作に出演しています。

日本人離れしたエキゾチックなルックスで個性派イケメン俳優の柳俊太郎さんですが、学生時代はどんな風に過ごされたのでしょうか?

今回はそんな柳俊太郎さんの卒アルについて調査しました。

部活についても確認していきます。

ぜひ最後までご覧ください。

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【画像】柳俊太郎の中学時代の卒アルを確認!

柳俊太郎さんは2004年4月に仙台市立第一中学校に入学し、2007年3月に卒業しています。

プロバスケットボール選手の畠山俊樹さんと同級生です。

幼い頃からずっと何かを表現する仕事がしたいと思っていたそうで、直感として、普通に就職して会社員になることは絶対にないだろうと感じていたそうです。幼稚園の頃の文集には、将来の夢を『スーパースター』と書いていて、お遊戯会も絶対主役をやらせてもらっていたことを明かしています。

また少年時代に「キャプテン翼」に影響を受けてサッカーを始めました。

柳俊太郎さんの中学時代の卒アルについては残念ながら確認することができませんでした。

ドラマ「弱くても勝てます」に出演した時に来ていた野球のユニフォーム姿ですが、もし野球部に所属していたらこんな感じだったのではないでしょうか。

【画像】柳俊太郎の高校時代の卒アルを確認!

柳俊太郎さんは高校3年生の時に「第24回MEN’S NON-NOモデルオーディション」でグランプリに輝きました。

その時の画像がこちらです。

オーディションを受けるきっかけについてはこのように明かしていました。

お姉さんから「あんた身長高いんだし、別に勉強ができるわけでもないんだから、ちょっと応募だけしてみなさいよ。写真は私たちが撮って書類も私たちが書くから。写真撮らせて!」と言われたそうです。

姉貴に『送ってみたら』と言われました。それがすごく嬉しかったですね。僕はそれまでこういう世界に入りたいというのは誰かに言ったことなかったので。一番近くで自分のことをみている家族はどこかで勘づいていたのかもしれないですね。よくよく話聞いてみたら、オカンが姉貴に『送らせてみなよ』みたいに言っていたみたいなんです。

引用:THE FUTURE MAGAZINEより

今はかなりおしゃれな柳俊太郎さんですが、高校時代はファッションのことはあまりよくわかっていなかったそうです。

高校時代の柳俊太郎さんは、親から「勉強しろ!」と言われた時に「いや、大丈夫だよ!」と答えると『それで、何が大丈夫なの?』言われても、感覚でしかなく、ただ『大丈夫だから』と言ったりして何となく許されてしまっていたようです。

10代の頃には何かを表現するお仕事に就きたかったそうなので、俳優はまさに天職ですよね。

残念ながら柳俊太郎さんの高校時代の卒アルも確認できませんでしたが、制服を着ていたらこんな感じだったのではないでしょうか。

これは、ちょっとパンチが効きすぎかもしれないですね(笑)

柳俊太郎の学生時代の部活はサッカーとバレーボール?運動神経抜群だった?

柳俊太郎さんは中学時代はサッカー部、高校時代はバレーボール部で汗を流していました。

サッカーとバレーボールということは、球技が得意だったのでしょうね。

中学時代はフランスのジダン選手に憧れており、プロサッカー選手を目指していたそうですが、本当に上手い選手を見て、自分の実力に限界を感じプロの道を諦めてしまったそうです。

高校時代はバレーボール部に入部した理由は、全国大会に出場したかったことと、顧問だったクラス担任の先生の誘われたからだそうです。

東北地区大会で3位になるような強豪チームで、先生もとても厳しかったそうですが、ここでは「変わり者キャラ」みたいなノリで色々と許されていたそうです。

例えば、ウォーミングアップの時間にいつも僕らが選んだ曲を流すんです。ただそれが『気合いが入る曲』限定で、周りが若いアーティストの曲を流しているなかで、僕は従兄弟の家にあった、ボブディランのCDをパクって流したんです。そしたら先生が『誰だこの曲流したのは! 全然気合い入んねぇじゃねーか』って怒るんですけど、『すみません、僕です』と言ったら、『お前面白いな』と言われて。普通だったらモロに“指導”の対象なんですけど、なぜか許されるずるいポジションでしたね。

引用:THE FUTURE MAGAZINEより

厳しい部活なのに許されてしまうなんて当時の顧問の先生は柳俊太郎さんの資質をその頃から見抜いていたのかもしれないですね。

県大会の決勝では「東北高校」に負けてしまい全国大会出場は果たせませんでした。

そして高校生活最後の試合となる「第58回宮城県高等学校総合体育大会」では左足のすねを骨折していて試合に出場することが出来ませんでした。

この悔しさをバネにその後オーディションに合格し、モデルとしてデビューし、そして俳優としても成功を収めることが出来たのかもしれないですね。

中学時代は本気でJリーガーを目指していたほどで、高校から始めたバレーボールでもレギュラーとして、県大会の決勝に進出しているほどなので運動神経は抜群だったことは間違いなさそうですね。

まとめ

いかがでしたか?

今回は柳俊太郎さんの中学・高校の卒アルはある?学生時代の部活はサッカーとバレーボール!について調査しました。

柳俊太郎さんの中学・高校時代の卒アルについては残念ながら確認することが出来ませんでしたが、学生時代はサッカー部とバレーボール部に所属しJリーガーを目指したり、レギュラーとして県大会に準優勝するなど大活躍だったことがわかりました。

今後も柳俊太郎さんの活躍を応援していきたいと思います。

最後までご覧くださりありがとうございました。

 

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