圧倒的な美貌で男女ともに支持されている女優の石原さとみさん。
出演するドラマはのきなみ高視聴率で、常に世の注目の的ですよね!
そんな石原さとみさんですが、実は超高学歴だったことが分かっています!
今回は、石原さとみさんの学歴について調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
石原さとみの学歴まとめ!出身中学はどこ?
東京都出身の石原さとみさんは、両親が創価学会で勤務していたため、小学校から創価学校に通っていました。
幼稚園は明泉幼稚園へ入園したのですが、なんと嵐の大野智さんと地元が一緒だったのです。
実家が徒歩2分ほどのところにあり、常連のお店や習い事、最寄りのバス停までおなじだったといいますから驚きです。
私立創価小学校の偏差値は51となっていますが、かなり倍率が高く、石原さとみさんがいかに優秀かが分かりますね。
この小学校は創価学会が経営しており、年間の学費が100万円近くとかなり高額なんです。
父親が創価学会関係者ということで、創価小学校は創価学会の幹部のご子息が多く通っているため、石原さとみさんもこの学校に入学したのでしょう。
石原さとみさんは幼少期から運動神経抜群で、バスケットボールやテニス、バレーボールや器械体操といった運動をこなしていたそうです。
習い事もたくさんしていたようで、ピアノや琴、クラシックバレエやヒップホップダンス、水泳に習字といった多岐にわたるジャンルを習っていました。
琴は6歳から高校2年生になるまで続けていたそうで、かなりの腕前みたいですよ。
習い事で忙しかったため、あまり友達と遊ぶ時間はなかったそうですが、クラスメイトと交換ノートで仲を深めていたそうです。
休み時間は好きな漫画やアーティストの話で盛り上がっていたそうですよ。
小学生のときは吹奏楽部に所属し、トランペットやクラリネットを演奏していました。
石原さとみさんはいまでも小学校5、6年生の担任を尊敬しているそうで、人の悪口を言う生徒に厳しかったそうです。
その先生のおかげで、クラスでは一切イジメがなく、卒業するまでみんな仲良しだったそうですよ。
当時石原さとみさんの母親がラジオが好きだった関係で、小学校の卒業文集では「将来ラジオパーソナリティになりたい」と書いたそうです。
その後、創価中学校(偏差値65)に進学しています。小学校からエスカレーター式で進学したのですね!
この中学は将来創価学会幹部になるために入学するご子息も多いそうで、かなりの難関中学校になっています。
石原さとみさんは中学1年生のときに藤原紀香さんが主演を務めるドラマ『with LOVE』を見て、女優になりたいと漠然と思ったそうです。
そして、中学~高校時代は4年間おなじ人に片思いしていたそうで、その人は2歳年上のサッカー部でゴールキーパーだったそうです。
ずっと片思いをしており、バレンタインデーのチョコを渡したりと、積極的にアプローチしていました。
結局は失恋してしまったのですが、その先輩を見返すため、芸能人になりたいと強く思ったそうです。
もともと女優になりたい願望はありつつ、決定的な出来事が失恋だったみたいですね。
ずっと片思いをしていた石原さとみさんですが、中学時代はかなりのモテ期だったそうで、同時に複数の男子から告白されたようです。
また、学校時代には親友と呼べる存在が初めてできたと話していました。
「親友と呼べるの人は、中学1年の頃からずっと一緒に帰っている7人組かな。その後はバラバラになったんですけど、学校から帰る時や遊びに行くときはずっとそのメンバーなんです。その7人組の子たちに対しては「帰る場所がある」みたいな安心感があるんですよね」
芸能人学歴.comより引用
スポーツ万能だった石原さとみさんは、中学時代硬式テニス部に所属しました。
小学生のときから習っていたダンスやバレエ、ピアノも継続しており、多忙を極めていたそうです。
そのため、友達と遊ぶ時間は日曜日の午後しかなかったそうですよ。
そして、中学2年生のときにオーストラリアにホームステイしています。
短期間ではありましたが、現在も流ちょうな英語を話すことができるのは、石原さとみさんの努力の賜ですね。
中学校3年生のときには作文コンクールで税に関する作品を出品し、多摩武蔵地区の佳作に入選しました。
このように、学生時代はかなり模範的な生徒だったようですね。
石原さとみの出身高校は偏差値70の創価?
石原さとみさんは中学卒業後、内部進学で創価高校(偏差値70)に進んでいます。
中高一貫高校で、かなり高い偏差値を誇る同校は、高校から外部受験する場合、かなりの学力が必要にいなるようです。
また、文武両道を重んじており、スポーツも盛んで、硬式野球部は都内屈指の強豪校なんです。なんと過去に5回も甲子園に出場しているそうですよ。
文化部も活発で、吹奏楽部、書道部、筝曲部、雄弁部は全国大会出場経験があります。
石原さとみさんは前述したように中学生のときから女優に憧れており、高校1年生のときに俳優養成所「ホリプロ・インプルーブメント・アカデミー」5期生として入所しました。
そのときは本名である「石神国子」名義で、2本の映画「ホ・ギ・ラ・ラ」「船を降りたら彼女の島」に出演しています。
その後、高校1年生のときに「ホリプロスカウトキャラバン」に出場し、見事グランプリを受賞します。
母親がもともと芸能界入りを猛反対していたのですが、諦めさせるためにホリプロスカウトキャラバンの話を持ち掛けたそうです。
「これに落ちたら諦めろ」という意味で、出場を提案してきたようです。
まさか石原さとみさん自身もグランプリに輝くとは思っていませんでしたが、母も同じくかなり驚いたでしょう。
「私もこれで諦めるつもりでした。地区予選に行って「落ちたらごはんを食べて帰るんだ」みたいな感覚しかなかったから。会場はとにかく女の子がたくさんいて。大声で歌う子もいれば、ジャズダンスを踊る子、三味線を弾く子、体の柔らかさをみせている子もいて、私はどうしようかと」
Yahoo!ニュースより引用
晴れてグランプリに輝いた次の日も、父親が石原さとみさんの写真が一面に掲載されているスポーツ新聞を買ってきたのですが、実感がわかなかったそうで、普通に学校に投稿したとか。
ちなみに石原さとみさんは、両親から眉毛をそらないように言いつけられており、審査員はそこに注目して、「鼻から上はそのままでいてね」と言ってきたそうです。
もし、当時の流行のように石原さとみさんが細眉だったら、女優になっていなかったかもしれませんね!
その後、映画「わたしのグランパ」で主演をつとめ、いきなり「日本アカデミー賞新人賞」を獲得しました。
さらに高校2年生の2004年、NHK朝ドラ「てるてる家族」のヒロインに抜擢され、一躍有名人となります。
NHKの朝ドラは半年にもおよぶ放送で過密スケジュールですし、その後ブレイクしたことで立て続けにドラマや映画に起用され、勉強する暇はなかったようです。
絵にかいたようなシンデレラストーリーを経験した石原さとみさん。しかし、しっかりと高校には通っていたようですね。
現代文と世界史が得意で、運動会では実行委員会を務めたりと、相変わらず模範生徒のような高校生活を送っていたそうです。
「次から次に役をいただいて、同時進行で重なっているときもあって。全部を全力でやったし、全部が楽しかったけど、どこに行っても深まらないまま、役名がどんどん変わっていく……。「私はいったい何なんだろう?」ってよく泣いていました。それが徐々に「どれが私?」ではなく、「全部が私なんだ」と気づき始めたんです」
芸能人学歴.comより引用
いきなり芸能界デビューして、とんとん拍子に事が進んで素晴らしいことではありますが、気持ちがついていかない時期もあったようですね。
また、高校時代は芸能活動を始めたこともあり、部活には所属しなかったそうです。
ちなみに、「石原さとみ」というのは芸名なのですが、由来は芸能界の「原石」を逆さにした苗字と、「聡明で美しい」=「聡美」をひらがなにしたということです。
石原さとみの最終学歴を確認!大学には進学した?
石原さとみさんは高校卒業後、女優業に専念するため、大学には行っていません。
当時を振り返り、石原さとみさんは「友人と大学に行きたかった」と話していました。多少の後悔はあるようですね。
もともと石原さとみさんは高い学力をもっていますから、受験する大学の選択肢も多かったことでしょう。
石原さとみさんは2005年4月~2009年3月までに、19作品ものドラマに出演しています。
大ブレイク中だったため、このとき大学に通っていたら・・・なかなか卒業することはできなかったかもしれません。
しかし、石原さとみさんは周りの友人が大学でキャンパスライフを楽しんでいる話を聞いて羨ましいと思っていたそうで、将来学び直すこともあるかもしれません。
その後も着実に女優としてキャリアを重ねており、現在は国民的人気女優の一人ですよね。
また、2016年には「世界で最も美しい顔ランキング」で、No.6に選ばれ、その美貌が世界に認められることとなりました。
今や女優として、ひとりの女性として、多くのファンから憧れられる存在ですよね!
まとめ
今回は、石原さとみさんの学歴について紹介しました。
両親が創価学会関係者ということで、小学校から創価の一貫学校に通っていたのですね。
かなり偏差値が高い学校を卒業しており、美しいだけではなく頭脳明晰なことがわかりました。
まさに才色兼備の石原さとみさん。がこれからも活躍していく姿を応援していきたいですね!
最後まで御覧いただきありがとうございました。