高橋メアリージュンさんはハーフで高身長です。
モデルとしてもルックスにとても恵まれていますよね。
そんな高橋メアリージュンさんの卒業アルバムが気になります。
昔からきれいでスタイルが良かったのでしょうか。
そこで今回は高橋メアリージュンさんの中学・高校の卒業アルバムについて調査してみたいと思います。
学生時代のバレーボール部についても調べていますので最後までご覧ください。
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高橋メアリージュンの中学時代の卒アルを確認!画像
高橋メアリージュンさんは滋賀県大津市立皇子山中学校を卒業しています。
残念ながら卒業アルバムは見つかりませんでした。
しかし14歳の頃の画像を見つけました。
2015年11月26日自身のインスタグラムに投稿された画像です。
「14歳の時の写真」というコメントと共にアップされました。
14歳といえば中学を卒業する年齢です。
10代前半とは思えないくらい大人っぽいですね。
ユーザーからは「14歳の時点でこんな可愛いなんて」「これで14歳!?」など驚きと絶賛の声が寄せられました。
そんな中学時代の高橋メアリージュンさんですが、生活が一変するような出来事が起こります。
きょうだいではその出来事を『琵琶湖会議』と呼んでいるそうです。
ある日いつものように家族で琵琶湖へ遊びに出かけました。
しばらくするとお父さんがみんなを集めます。
お父さんがみんなに告げたのは「自分の会社が倒産した」ということでした。
「実はお父さんが経営してきた会社が潰れてしまったんや。申し訳ない。これからは今までみたいな暮らしはできひんし、みんなに迷惑をかけることもあるかもしれへんけど、みんな協力して頑張ってくれるか?」
と話をするお父さん。
高橋メアリージュンさんは当時中学1年生でした。
その後豪邸から引っ越しを余儀なくされたといいます。
小さな一軒家に移り住んだ一家。
4人きょうだいで1部屋という間取りだったそうです。
中学生の高橋メアリージュンさんにとっては辛かったと思います。
その後は同じ町内で何度か引っ越しを経験したんだとか。
引っ越すたびに家はマトリョーシカのように小さくなっていったそうですよ。
当時は何も感じなかったものの、今思えば父は、より家賃が安い物件を見つけては引っ越す、を繰り返していたのですね。
KOUDANSHA 父の会社の倒産…高橋メアリージュンが直面した貧困の現実と「笑顔の理由」より引用
しかし子供たちは変に落ち込むことなく、毎回無邪気に「イエーイ! 引っ越しや~!!」と盛り上がってたとのこと。
それは両親のポジティブ思考のおかげだと明かしていました。
子どもたちに目隠しをさせて、「ジャーン! ここが新しい家でーす!」と、一見、後ろ向きのような引っ越しすら楽しいイベントにしていたそうですよ。
子供たちに心配をかけさせないようにふるまう心優しい両親ですね。
借金取りに悩まされる経験が生かされる
お父さんの会社が倒産して膨大な借金を背負うことになった一家。
借金取りに悩まされる毎日を送ることになります。
しかし高橋メアリージュンさんにとってはこの経験が生かされることになるとは夢にも思わなかったでしょう。
高橋メアリージュンさんは2014年公開映画「闇金ウシジマくん Part2」で借金取りの役を演じます。
鬼気迫る演技で女優・高橋メアリージュンの名が世間に広まった作品といえるでしょう。
ドM部下の村井(マキタスポーツさん)をどつき回しながらのサディスティックな取り立てシーンは『ウシジマくん』シリーズでも定番となりました。
高梁メアリージュンさんが演じたは『犀原茜』は元々原作にはなかったキャラクターで、原作の中の男性の借金取りがベースに作られたキャラなんだそうです。
映画で作られたオリジナルキャラというのは原作を知っていると賛否両論あります。
しかし高橋メアリージュンさんが演じた『犀原茜』はなくてはならないキャラとして位置づけられました。
中学に入るや否や生活が一変した高橋メアリージュンさん。
食事も一気にわびしいものになり、
「クリスマスはケンタッキーとかチキンやケーキとかがあったりして、いつも豪勢やったんですけど、インスタントラーメンに玉子が乗ったというのがクリスマスの食事に変わって」
と明かしていたことから贅沢は出来なかったと思われます。
我慢を強いられた中学時代だったかもしれませんね。
高橋メアリージュンの高校時代の卒アルを確認!画像
高橋メアリージュンさんは高校へ進学していません。
そのため卒業アルバムはありません。
先述しましたが高橋メアリージュンさんが中学1年生の頃、お父さんの会社が倒産。
一家の生活は苦しくなりました。
そのため高橋メアリージュンさんは「私が守っていかなあかんねやな。はよ働こう。どうやったら早く働けるかな?あ、芸能界や」と思い、芸能界入りを決断したそうです。
中学卒業後は週5でバイトをして家計の手助けをしていたとのこと。
芸能界入りのきっかけは「横浜・湘南オーディション」でグランプリを獲得したことからでした。
言葉にすると簡単にグランプリを獲得したようにも思えますが、このオーディションを受けるまでにもお金がないことで苦悩します。
当時滋賀県に住んでいた高橋メアリージュンさん。
横浜・湘南オーディションの書類選考合格後は保護者と一緒に横浜まで行かなければいけなかったそうです。
横浜まで行くには新幹線代がかかります。
交通費を出すことが出来ず諦めかけていた高橋メアリージュンさん。
それを知ったお父さんは「お姉ちゃん、どのチャンスが、どんな奇跡を起こすか分からんから、新幹線難しいけど、車でよかったらお父さん送ってくで」と車で横浜まで送ってくれたとのこと。
しかも高速代を浮かせるために下道で行ったそうですよ。
「家族旅行や」と家族みんなでオーディションに赴き、奇跡を起こしてグランプリを獲得した高橋メアリージュンさん。
家族は泣いて喜んだとか。
お父さんが送ってくれて家族に見守られながらグランプリを獲得したオーディションは思い出深いことと思われます。
後にあるオーディションを受けた際、ヒロインの「お父さん大嫌い、お父さん汚い」とういうセリフを言うのがつらかったそうです。
なぜつらいのか質問されたとき横浜・湘南オーディションでのエピソードを話していたら泣いてしまったとのこと。
このオーディションは落ちてしまいましたが別の役のオーディションに呼ばれ見事合格。
それがドラマ初出演作品であるNHKドラマ『純と愛』なんだそうですよ。
先に受けたオーディションでお父さんのことを話しながら涙する高橋メアリージュンさんが好印象だったのでしょう。
きっと素直でまっすぐな涙だったんでしょうね。
Can Camの専属モデルに
グランプリを取った「横浜・湘南オーディション」には雑誌『Can Cam』が協賛として参加していました。
そこからCan Camの専属モデルとなります。
東京と滋賀を行ったり来たりの生活で、滋賀では借金返済のためバイトを続けていたそうですよ。
モデルの給料は7万円で、そのうち6万円を家に入れていたとか。
小遣いの1万円で好物のあんぱんを買うのが楽しみだったという高橋メアリージュンさん。
2021年3月20日放送の関西テレビ「おかべろ」に出演した際には「(あんぱんを)3等分にして、朝昼晩に分けて、平べったくしたりして、大きくして食べてました」と涙ぐましい努力を明かしていました。
モデルという華やかな世界の裏で、高橋メアリージュンさんはささやかな生活を送っていたのですね。
そんな努力家の高橋メアリージュンさんですがモデルとしても努力家であることを先輩モデルである押切もえさんが話していました。
高橋メアリージュンさんと押切もえさんが最後にあったのが『Canコレ』という、CanCamとAneCanが主催のファッションショーだったそうです。
その時にダンスがあったとのことですが、押切もえさん曰くそのダンスがとびきりうまいのはもちろん、真面目さ、一生懸命さがずば抜けていたんだとか。
「モデルとして服もきちんと見せつつダンスも全力でする」という新しい試みの中で、誰よりもベストを尽くしているという印象がずっとありました。(押切もえさん談)
Can Cam.jp 「CanCamっぽくないってずっと言われていました」【高橋メアリージュン×押切もえ対談・前編】より引用
高橋メアリージュンさんは根が努力家なのでしょう。
私生活でも仕事でもその時自分ができることに対して一生懸命な姿勢が伺えますね。
高校へ進学せずに芸能界の道へと進んだ高橋メアリージュンさん。
普通の女子高生としての生活はできませんでしたがそれ以上に経験して得たものは大きかったのではないでしょうか。
高橋メアリージュンは学生時代バレーボール部だった?エピソードも!
高橋メアリージュンさんは小学2年生からバレーボールを始め、中学時代にはバレーボール部に所属していました。
高橋メアリージュンさんがバレーボールを始めたきっかけは同じクラスの友達に「遊びに来てみたら?」と誘われたこと。
行っているうちに気づいたら入団していたそうです。
特にバレーボールに興味があったわけでもなく、「学校終わりに遊びに行く場所」という感覚だったんだとか。
入団した後にスパルタの実態を知ったと話していました。
結果バレーボールは中学に入っても3年間続けることになるのですが続けることが出来たのは習慣になっていたからだといいます。
「辞めたら悔しい」という思いが強かったと語っていました。
負けず嫌いですね。
しかしそれでも辞めたいと思ったことは何十回もあったそうです。
小学校4年生の時、辞めると決めて練習に行かずに家にいたら監督が家まで来たことがあったんだとか。
その後両親と監督に説得され続けることになります。
練習試合にも出してくれてアタックを決めた時に「そうやメア! お前がおらな、試合にならへんわ!」と言ってくれた時は本当に感動して、続けていこうと決意したそうです。
先ほど「不屈の精神」とありましたが、監督から学んだのは「あきらめないこと」と「続けることの大切さ」です。
マイナビニュース 高橋メアリージュン、女優転身や難病と闘う不屈のルーツとは? “感涙”の奥にあった父と監督「弱音を吐かず、涙も見せず」より引用
「あきらめないこと」と「続けることの大切さ」というのは何事にも共通しています。
バレーボールで鍛えられた不屈の精神で芸能界でも頑張れるのですね。
2018年9月21日放送「超問題クイズ!真実か?ウソか?」の番組に高橋メアリージュンさんと妹ユウさんが出演し、当時のバレーボールクラブについても振り返っています。
「小学生の時はメチャクチャバレーボールやっていたので友達と遊ぶ思い出よりバレーボールの思い出の方が強い」というほど熱中していたそうですよ。
当時の監督も登場し当時のメアリージュンさんを「負けず嫌いで、あの顔がいいんですよ」「バレーボールの時とかアドレナリンも出てたんで、目つきとかもギロー!って」と明かしていました。
高橋メアリージュンさんの目力は小さいころからだったのですね。
高橋メアリージュンさんと妹ユウさんはその後二人で練習をすることに。
監督も「上手やん」と二人の変わらぬ腕前を評価していました。
当時は厳しくて感謝なんて思わなかったかもしれませんが、大人になった今なら大切なことを教えてくれた監督にも感謝できるでしょうね。
まとめ
今回は高橋メアリージュンさんの卒アルについて調査してみました。
残念ながら中学の卒業アルバムは見つかりませんでした。
高橋メアリージュンさんは高校には進学しておらず、親の借金を返すために芸能界入りしたことが分かりましたね。
バレーボールは小学生のころから始め、中学になっても部活として3年間続けていました。
これからも高橋メアリージュンさんを応援していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。