永山瑛太さんは多くのドラマや映画で主演を務めている人気の俳優です。
永山瑛太さんは3月31日をもって、所属していた「株式会社パパドゥ」を退社し独立することを25日、公式HPで報告しています。
「これから先、大変な世の中を生き抜いていくために、自分自身が一人でしっかりと地に足をつけ、責任を持った1人の人間として仕事を全うするため、独立という形をとる決意をしました」
ディリ―スポーツ 永山瑛太が事務所独立「責任を持って仕事全うするため」より引用
独立すると活動の場が広がります。
これからの活躍に期待できますね。
今回はそんな永山瑛太さんの学生時代の卒業アルバムを調査しました。
部活についても調べていますので最後までご覧ください。
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永山瑛太の中学時代の卒アルを確認!画像
永山瑛太さんは東京都板橋区志村第三中学校出身です。
残念ながら卒業アルバムは見つかりませんでした。
永山瑛太さんは中学時代、一瞬だけお笑い芸人になりたいと思ったことがあることを『プレーンズ2 ファイアー&レスキュー』インタビューで答えていました。
目立ちたがり屋だったという永山瑛太さん。
学級委員やリレーの選手など、何でも手を上げてやっていたそうですよ。
教室でふざけたりしていてクラスメイトが笑ってくれたんだとか。
その時はお笑い芸人になりたいと思いましたが、思えばあの時、みんなが僕に気を遣ってくれていたのかな(苦笑)
MOVIE WALKER PRESS 瑛太の「中学時代は、芸人になりたかった」発言にハリセンボンがびっくり!より引用
クラスに一人はムードメーカーな男子はいますよね。
やんちゃだった瑛太さんが想像できます。
クラスメイトを笑わせていた永山瑛太さんですが、中学2年生になって少しずつ変わっていったそうです。
なぜか気分的に落ちていき明るさがなくなっていったと告白していました。
今は役者になってよかったと明かす永山瑛太さん。
別に明るくなくても良いですし
MOVIE WALKER PRESS 瑛太の「中学時代は、芸人になりたかった」発言にハリセンボンがびっくり!より引用
思春期の始まりだったのでしょうか。
1年生の頃は少し無理をしていたのかもしれませんね。
長渕剛の歌をギターで歌った
永山瑛太さんは中学の頃、池袋のストリートでひとりで長渕剛さんの歌をギターで歌ったそうです。
永山瑛太さんが長渕剛さんの作品に出合ったのは小学生の頃。
「僕自身、小学生のころから剛さんの映画や音楽などに触れて、そして僕はその生きざまに、小学生の小さい自分ではあったんですけど、すごく強烈な印象を受けまして。」
と2020年公開映画『太陽の家』キャスト発表会見の際に明かしていました。
思春期で暗くなっていったという永山瑛太さんを支えていたのも長渕剛さんの存在だったかもしれません。
どんなに苦しいときでも、弱い自分が出てきたときでも、剛さんの曲に支えられ、這いあがらないといけないということを感じてきた
それからギターを覚えたんだそうです。
実際に長渕剛さんに会うことができ、一緒に食事やトレーニングをしているのだとか。
憧れの長渕剛さんと交流を持てるのはファンの瑛太さんからすると夢にまで見た光景でしょうね。
永山瑛太の高校の卒アルを確認!エピソードも
永山瑛太さんは男子校の私立保善高等学校出身です。
保善高等学校はスポーツが盛んであることで知られ、特にラグビー部と陸上部は全国的に強豪なんだそうですよ。
永山瑛太さんは保善高等学校にサッカー推薦で入学します。
しかし高校1年生の時練習がきついという理由からサッカーを辞めてしまいます。
糸が切れてしまったのか学校もサボりがちで不登校の日も多かったのだとか。
2度停学もしています。
現在の物腰が柔らかい永山瑛太さんからは想像できませんね。
部活も辞め勉強嫌いな瑛太さんはアルバイトもしますが長く続かなかったようです。
他のアルバイトをいくつかやったんですけど、例えばスーパーの品出しとかして1ヶ月して給料をいただくと、満足しちゃうんです。それを5回くらい繰り返しました。
radiko news 瑛太、三浦知良に憧れていた子どもの頃「あのときブラジルに行っていたら…」より引用
アルバイトではやりがいを見つけることが出来なかったのかもしれませんね。
モデルデビュー
永山瑛太さんの分岐点は芸能界デビューでした。
実は中学生の頃にスカウトされていた瑛太さん。
当時はサッカーに夢中だったため断っていました。
しかし何も続かないことに気づき、モデルにスカウトされていたことを思い出した瑛太さんは名刺を引っ張り出して連絡。
「一度会ってみましょう」との返事からモデル事務所に入ることになりました。
高校2年生の頃に「ホットドッグプレス」でモデルデビューし、「EITA」という芸名でモデル活動を始めます。
瑛太さんはモデルと学生を掛け持ちしていましたが不登校は変わらずのようで
「高校を卒業できなければ芸能界でもやっていけない」
と事務所から言われます。
このことをきっかけにきちんと登校するようになり高校を卒業することができました。
事務所に所属しなければ高校も卒業できていなかったかもしれませんね。
俳優にも興味を持つ
永山瑛太さんはモデル活動をしながら「いずれ芝居みたいなことをしたい」とも考えCMのオーディションも受けさせてもらったと明かしています。
兄の影響で映画を観るのが趣味という瑛太さん。
「現実逃避できるのは俳優なんじゃないかな」と思ったそうです。
趣味で映画を見ていて、一番現実から逃げられるのは映画のスクリーンのなかの世界しかないと気付きました。
ORICON NEWS 瑛太、俳優業は“中毒性”がある 休みの日は「心が落ち着かない」より引用
勉強が嫌いでアルバイトが続かないことに悩んでいたのでしょう。
現実逃避で逃げ込んだ俳優業ですが「この仕事はどこか中毒性がある」と語っていました。
現場でお芝居していないと心が落ち着かないそうですよ。
「一番自分が好きな場所と言いますか、楽しいのは演じているときなんじゃないかなって気がしています」と話しています。
現実逃避とはいえ瑛太さんには俳優が天職だったんでしょうね。
永山瑛太の学生時代の部活はサッカー?運動神経バツグンとの噂も!
永山瑛太さんは小学4年生から地元のクラブでサッカーを始め、中学・高校とサッカー部に所属していました。
中学時代にはサッカー都大会で最優秀選手賞に輝いたそうですよ。
すごいですね。
当時はサッカーのことしか頭になく、部活が終わってもみんなで放課後や土手で練習したりしていたんだとか。
永山瑛太さん自身もプロサッカー選手を目指して、高校はサッカー推薦で入学しています。
スポーツ推薦は優秀な成績を収めていないと推薦されません。
特に永山瑛太さんが入学した保善高等学校サッカー部は「強化指定クラブ」の一つであり力を入れています。
そんな保善高等学校にサッカー推薦で合格するのは実力を認められたのだと思います。
サッカー推薦で保善高塔学校へ入学した永山瑛太さんですが、高校1年生でサッカーを辞めてしまいます。
うまい選手と出会ったりして、自分のレベルの限界を感じたのは正直ありました。
プレスリリース 瑛太 ハーフナー・マイクのドキュメンタリーでサッカー番組ナレーターに初挑戦 より引用
心が折れてしまったのでしょうね。
サッカーは辞めてしまいましたが小学4年生からサッカーで鍛え上げられた運動神経は衰えることはなく、映画『ワイルド7』では過激なバイクアクションにも挑戦しています。
ドラマ『ラッキーセブン』(フジテレビ系)でも、クールで格好いいアクションを披露。
永山瑛太さんは準主役のポジションでしたが「主役の松潤(松本潤)より目立っていた」という意見もあったほどです。
長い脚での廻し蹴りはカッコイイですね。
まとめ
今回は永山瑛太さんの学生時代の卒業アルバムを調査してみました。
残念ながら中学・高校の卒業アルバムは見つかりませんでした。
学生時代はサッカー部に所属していたことが分かりましたね。
これからも永山瑛太さんを応援していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。