新木優子さんはモデルで人気があり女優としても年代問わず幅広く知られています。
そんな新木優子さんの学生時代の卒アルが気になりますよね。
そこで今回は新木優子さんの卒アルを調査してみました。
部活や学生時代のエピソードも調べてみました。
最後までご覧ください。
Contents
【画像】新木優子の中学時代の卒アルを確認!エピソードも
新木優子さんは2006年4月に中学入学、2009年に卒業しています。
新木優子さんは出身中学を公表していません。
SNSでは千代田区にある中学校出身の噂や『神奈川県立霧が丘高等学校』ではないかなど情報が分かれています。
そのため卒業アルバムも見つけることができませんでした。
新しい情報が入り次第ご紹介していきたいと思います。
中学のエピソード
- 吹奏楽部に所属していた
新木優子さんは中学時代、吹奏楽部に所属していました。
担当楽器はトランペットだそうですよ。
インタビューでは個人的再ブームとしてこのように答えています。
小・中学校で吹奏楽部でトランペットを吹いていたんだけど、当時演奏していた曲をYouTubeで検索して聴いてる!
non-no Web 新木優子の個人的再ブームのドラマは、あの名作だった!【新木優子AtoZ】より引用
部活を積極的に取り組んでいたのでしょう。
当時を懐かしく思い出しながら視聴しているのが分かりますね。
- ももクロと一緒にレッスンを受けていた
新木優子さんはももいろクローバーZの初期メンバーと一緒にダンスレッスンを受けていたことを2019年7月1日放送『しゃべくり007』(日本テレビ系)で明かしていました。
学校では部活もしながら所属事務所ではレッスンを積む日々だったそうです。
ともに成功を夢見ていましたが先にブレイクをしたのはももクロで、その様子を見て
「応援していたので純粋に嬉しかった。」
と語っています。
一方で
「マネージャーさんとかがももクロのグッズとかを持つようになって『なんでももクロ』?みたいな」「頑張ろうって思いました」
日テレ しゃべくり007OAまとめ 新木優子、下積み時代はももクロらとレッスン「頑張ろう」と思ったのは…より引用
と複雑な気持ちも話していました。
ももクロのメンバーとは現在でも仲良しで、しばしばももクロのライブに足を運んでいるそうですよ。
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仲良しだからこそ番組でもこのような話ができるのですね。
- 同じ相手に3回告白した
新木優子さんは中学時代に同じ相手に3回告白したことを明かしています。
2020年3月26日に放送された『ナインティナインのシンデレラデート~あなたの最高の場所へ連れてって~』(フジテレビ系)に出演。
学生時代の失恋エピソードとして同じ相手に3回告白して全て振られたと話していました。
半年に1回のペースで告白をしていたそうですよ。
同じ高校に進学する前に最後の告白をしたものの振られてしまい
「フラれた…もう無理なんだなって思って」
と苦笑いを浮かべて振り返っていました。
「私の告白に対する熱っていうか、誰かに思いを伝える熱っていうのが、そこで終わっちゃって…」
exciteニュース 新木優子の「3回コクって全部フラれた」告白にフィクション疑惑!?より引用
最後の告白で心が折れてしまったようです。
新木優子さんのような美人でも振られるなんで驚きですね。
【画像】新木優子の高校時代の卒アルを確認!エピソードも
新木優子さんは2009年4月に神奈川県立霧が丘高等学校・普通科へ入学し、2012年3月に卒業していると言われています。
卒業アルバムは残念ながら見つかりませんでしたが卒業後と思われる画像を見つけました。
新木優子さんは出身高校を公表していません。
霧が丘高等学校の他にも千代田区立九段中等教育学校(中高一貫校)出身であるという噂もあります。
しかし制服の違いから九段中等教育学校ではないようです。
『九段中等教育学校制服』(中・高制服に違いなし)
新木優子さんが霧が丘高等学校出身だと言われているのは、新木優子さんが着ている制服と霧が丘高等学校の制服がよく似ているからのようです。
『霧が丘高等学校制服』
また新木優子さんが霧が丘高等学校に通っていたというツイートも見つけました。
やべえ友達が新木優子の認知もらっててまじで羨ましい、 しかも霧が丘高校とか宮代と同じとか笑ったわ
— 鈴木 大悟 (@dai_go4819) July 17, 2017
さらには新木優子さんが卒業した日が霧が丘高等学校の卒業式と同日であったことからも出身校が特定されたようです。
新木優子さんが卒業式を迎えた日は自身のブログで明らかにしています。
さてさて話が変わりますが…
私は明日卒業なんですアメブロ 2012年3月1日 いよいよ…(´・_・`)!(新木優子)より引用
新木優子さんが所属していた部活でも霧が丘高校出身であることが分かります。
新木優子さんは高校時代ハンドボール部のマネージャーをしていたとインタビューで明かしています。
実は霧が丘高等学校にはハンドボール部がありますが九段中等教育学校にはハンドボール部は存在しません。
このことから新木優子さんは霧が丘高等学校出身であることは間違いなさそうです。
高校時代のエピソード
- 友達に刺激を受けておしゃれに目覚めた
若い女の子たちを中心に人気が高い新木優子さん。
おしゃれだと評判が高い新木優子さんですがおしゃれに目覚めたのは意外にも高校時代でした。
それまでは休みの日に出かけられる服があればいいかなと言った感じだったそうです。
高校に入って、違う中学から来た友達に刺激を受けて、ファッション誌を読み始めたんです。
HUSTLE PRESS もっと、新木優子②より引用
それまでもファッション誌を見てはいたものの興味がなかったせいか「別にこんな派手な格好をしなくても」と思ったのだとか。
またプロポーションの維持のために高校時代は腹筋100回を毎日行っていたそうですよ。
おしゃれをするためにはプロポーションの維持も欠かせません。
高校生当時からおしゃれ意識は高いですね。
- 担任の先生に救われた
新木優子さんは高校2年生の2月に「NTTdocomo」のCMに出演した際少しだけ注目された時期がありました。
仕事が増えると転校しなければいけなくなると考えすごく怖くなってしまったんだそうです。
高校2年生と言えば月日を重ねるごとに友だちができて学校生活が楽しくなってくる時期。
そんな学校生活から離れなければいけないと思うと不安だったのでしょう。
そんな中担任の先生に何か起こった時が焦る瞬間でその時に考えればいいと言われたことをインタビューで明かしています。
先生が「あなたが悩んでいるのは、『マイケル・ジャクソンと付き合えたらどうしよう……』レベルの悩みなんだよ」と。起こってもいないことに不安になってもしょうがないでしょうと言われたんですよね。
マイナビニュース 新木優子、弱点の”笑顔”を武器に – 恩師の言葉で乗り越えてきた壁 より引用
この言葉は今でも生きていて不安になった時には「まだ何も起きてないんだから」と言い聞かせているそうです。
新木優子さんの背中を押してくれるいい言葉ですね。
そんな新木優子さんですが芸能活動について学生時代は勝負の時期だと思っていたそうですよ。
そこで一歩抜け出せるか抜け出せないかで勝負が決まると考えていたのだとか。
そのため周りを意識しすぎて自分で自分の首を絞めてしまっていたとインタビューで語っています。
同世代の方がすごく活躍している時期だったので、どうやったら自分もそういう存在になれるんだろうと苦しんでいました。
マイナビニュース 新木優子、弱点の”笑顔”を武器に – 恩師の言葉で乗り越えてきた壁 より引用
新木優子さんは「売れなきゃ」という焦りが先行していた時期だったと明かしていました。
そのためオーディションにも応募していましたが思うようにいかなかったようです。
日本経済新聞のインタビューでは
「高校から大学に入る頃にかけて、演技のお仕事をしたいけど、なかなかオーディションに受からなくて、うまくいかない日々が続いていた時期もありました。」
と話していました。
今や有名女優となった新木優子さんですがそんな苦悩の時代があったとは驚きです。
- 女優として生きていく決心がついた
新木優子さんは高校を卒業する少し前くらいに芸能界で生きていく決心がついたとインタビューで明かしていました。
それまでは学生との二足のわらじで一生懸命だったけど仕事はあまりなく、どこか部活のような感覚でただ楽しんでお仕事をしているような感じだったそうです。
高校卒業を前にすると進学か仕事か決めなければいけません。
岐路を前にして新木優子さんは進学しても学業と仕事が両立できるのか不安もあって迷ったようです。
そこで新木優子さんは一大決心をします。
大学に進学して4年間で結果を出し、そこで目標を見つけられなければ女優は諦めようと決めたんだそうですよ。
それからは仕事への姿勢も変わったんだとか。
「例えば、それまでは役のオーディションに受からないとスタート地点に立てないと思っていたけれど、もしオーディションの10分しか演じられなくても、そこで得るものがあるから、オーディション段階からより役を深く考えて演じるようになりました。もし落ちても、失敗を積み重ねることで成功につながりますから」
Nume’ro 新木優子インタビュー「壁を乗り越えることで自信がついた」より引用
失敗を糧にして女優・新木優子の芽が伸びていくのですね。
新木優子の学生時代の部活はハンドボール部でマネージャー?
新木優子さんは高校時代はハンドボール部のマネージャーをしていたことをインタビューで明かしています。
練習のボールを拾ったり飲み物を作ったりしてサポートをしていたそうですよ。
実は新木優子さんは高校入学してすぐ部活に所属したわけではありません。
私は高校時代に今の仕事をしていたので、最初は部活に入らなかったのですが、“今しかできないことをしたい!”という思いで、2年生の途中からマネージャーという形で部活を始めました。
キャリタス進学 “今しかできないこと”をたいせつに!より引用
と部活に所属した経緯を明かしていました。
「部活に入ることで、同学年の友達だけでなく先輩や後輩、先生、他校の学生など人との触れ合いが増え、そこからたくさんのことを学び、その経験が今の仕事にも生きていると思います。」
と続けていました。
また高校生新聞でのインタビューでは
「マネジャーをすることで、誰かを一生懸命に応援する、笑顔にすることの大切さを学びました」
と話しています。
特に女優という仕事は多くの人の支えが必要です。
「支える側の気持ちを常に忘れないでいられるのも、高校時代の経験があったからこそだと思います。」
と貴重な経験であることを明かしていました。
また、バレンタインデーには部活動の同級生や先輩・後輩と一緒にチョコレートをおうちで作って来て交換し合ったそうですよ。
高校生の頃から芸能活動をしているとなかなか普通の高校生活を送れないということもあります。
新木優子さんも学生と女優という二足のわらじを履いていましたが比較的普通の女子高生と同じ生活を送っていたようです。
新木優子さんは高校生の頃から読書が好きで小説なども読んでいたようで休み時間には図書館で本を読んで過ごしていたのだとか。
部活に励み読書を楽しむなど割と有意義な高校生活だったことが分かりますね。
まとめ
今回は新木優子さんの中学・高校の卒アルにつて調査してみました。
残念ながら中学・高校の卒アルは見つかりませんでした。
中学の部活は吹奏楽部で高校はハンドボール部のマネジャーに所属していたことが分かりましたね。
これからも新木優子さんを応援していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。