竹野内豊さんは渋いルックスで人気の俳優です。
1月16日発売の女性自身によるとコロナ禍の外出自粛期間中に料理を始めたという竹野内豊さん。
50歳の誕生日祝いにマネージャーから圧力鍋をプレゼントされたそうですよ。
きっと喜んだでしょうね。
今回はそんな竹野内豊さんの中学と高校の卒業アルバムを調べてみました。
学生時代の部活についても調査しています。
最後までご覧ください。
Contents
【画像】竹野内豊の中学時代の卒アルを確認!エピソードも
竹野内豊さんの出身中学は所沢市立向陽中学校です。
残念ながら竹野内豊さんの卒業アルバムは見つかりませんでした。
中学時代の竹野内豊さんは男前で昔からモテていたそうです。
中学生の頃がモテ期だったと言います。
小~中学生まで器械体操を習っていてバック転も得意だったそうですよ。
バック転が出来ることから「所沢の東山」との異名を持っていたとのこと。
運動神経が良い男子は間違いなくモテますね。
中学時代の卒業式ではボタン欲しさに女子が殺到、ボタンがすべてなくなったほどだそうです。
第2ボタンの奪い合いは壮絶なものだったでしょう。
モテモテの竹野内豊さんですが進学塾に通い勉学にも励んでいました。
イケメンで運動神経も良く頭もいいなんて完璧です。
【画像】竹野内豊の高校時代の卒アルを確認!エピソードも
竹野内豊さんの出身高校は東京都にある私立豊南高等学校です。
卒業アルバムは残念ながら見つかりませんでした。
豊南高等学校はもともと男子校として設立されましたが1954年に女子部が新設され男女別学制となり、校内で男子部と女子部に分かれていました。
2004年には共学化されています。
竹野内豊さんが通っている頃は男女別学制の頃だと思われます。
男女別だと男子校みたいなものですね。
中学は校則が厳しかったそうで、高校に入ると中学の反動からパーマをかけたそうです。
映画「孤狼の血」に出演した際にもきつめのパーマをかけていましたね。
この頃とはまた違った印象かもしれませんが昔からイケメンな竹野内豊さんなら高校時代のパーマも似合っていたでしょうね。
バイクを購入するためにバイトをした
竹野内豊さんは中学の頃からバイクが好きで、高校生になるとバイクを購入するためにたくさんのバイトをしていたそうです。
バイトで疲れ果てて朝のホームルーム終了後に寝てしまい、目が覚めると終業のホームルームをやっていた事もあったそうですよ。
高校生にとってバイト代でバイクを購入するのは生半可なものではなかったと思います。
お金もたまり念願のバイクを購入する際は親に土下座までしたそうです。
今でもバイクは好きで、ドラマ「もう一度君にプロポーズ」ではその際使用したバイクを竹野内豊さん自らがチョイスして華麗に乗りこなしたのだとか。
若いころから好きなだけあってバイク愛が伝わりますね。
高校時代はモテなかった
イケメンでバイクも乗り回す竹野内豊さん。
さぞかしモテるのではと思いますが高校時代はモテなかったそうですよ。
意外ですね。
高校時代は硬派を気取っていたようで、内心合コンに行きたかったけど
「おれ、行かね!」
と断っていたとのこと。
そのため高校時代は女の子と付き合ったことはありませんでした。
竹野内豊さん若い時もこんなにイケメソだったのに遊ばなかったとは、、、 pic.twitter.com/FT5X35ceUz
— サ● (@mizuta_0801) August 18, 2015
ドラマ「素敵な選TAXI」のインタビューでは
「もしも過去に戻れるなら、学生時代に戻って共学を選びたい」
と話していました。
もし共学だったらモテまくったこと間違いなしでしょう。
母と姉が勝手に応募してモデルデビュー
竹野内豊さんが芸能界にデビューしたきっかけは母親と姉が勝手に応募したオーディションでした。
母親と姉が応募したオーディションは講談社「チェックメイト」モデルオーディション。
高校3年生だった竹野内豊さん自身はオーディションにはしぶしぶ参加したそうです。
しかし見事優勝。
ここから現役高校生モデル竹野内豊が始まるのですね。
初々しいですね。
こんなにかっこよかったら私も勝手に応募しちゃうかもしれません。
母と姉が勝手に応募して始まったモデル活動ですが父親は反対していたと言います。
「厳格なタイプじゃなかったけど、スゴク男っぽいというか。芸能界なんてどんなところかわからなかったから“そんなことやるくらいなら、帰ってくるんじゃねえ!”と怒られました」
Amebaニュース 竹野内豊、芸能界に猛反対だった父が「いつの間に芸能通に」 家族の仲明かす より引用
そんな父親ですが竹野内豊さんが活躍するにつれ徐々に認めるように。
いつの間にか息子よりも芸能通になっていたそうですよ。
芸能界入りのきっかけも支えてくれたのも家族なんて心温まるエピソードですね。
モデルで金銭感覚がなくなった?
高校生モデルとなり10代で大金を手にした竹野内豊さん。
「TOKIOカケル」では金銭感覚がなくなり夜な夜な遊びまくってお金を使い果たしてしまったこともあるとか。
「全部お金が無くなりました。友達にもおごりまくって気づいたら銀行口座の残高が無くなっていた。」と明かしていました。
当時流行っていたジュリアナ東京や都内のクラブで遊びつくし、ほとんど家に帰らないで友達の家を転々としていたそうですよ。
「こんなんでこんなに稼げちゃうんだ!」
と思ったんだとか。
バイクを購入するために多くのバイトを経験してきた竹野内豊さん。
ハードな仕事でバイクの代金を少しずつ貯金していたと思いますが、急に大金を手にして遊びまくるのも若いころならではですね。
竹野内豊の学生時代の部活は?エピソードも!
竹野内豊さんは小学から中学まで器械体操をやっていました。
部活動ではないのかもしれませんが、始めたきっかけは「バック転に憧れて」だったそうですよ。
バック転が出来ることから「所沢の東山」と呼ばれていた竹野内豊さん。
「徹子の部屋」に出演した際「バック転だったら今でもできる」と明かしています。
竹野内豊さんは当時40代でしたが自信をもってできると言えるのはかっこいいですよね。
一方で俳優の仕事の上でのアクションについては
「体が重く感じられるし、昔ほどは動かなくなってきちゃって」
と消極的でした。
バック転ができるならアクションもお手の物だと思います。
黒柳徹子さんも同じように思ったのか
「バック転ができるんだったら、演技の中に入れることをお勧めしますよ、私は」
とアドバイスしていました。
「TOKIOカケル」の番組内では長瀬智也さんと同じジムに通っている話題で盛り上がっていた竹野内豊さん。
50歳を過ぎてもアクションがある演技をこなせる気がします。
楽しみですね。
まとめ
今回は竹野内豊さんの中学と高校の卒業アルバムを調べてみました。
残念ながら中学も高校も卒業アルバムは見つかりませんでした。
部活動はしておらず器械体操をしていてバック転が得意だということが分かりましたね。
これからも竹野内豊さんを応援していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。